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公武合体と尊王攘夷 友達に説明した際に、 公武合体は、朝廷と幕府が手を組...

ban********さん

2019/1/502:30:20

公武合体と尊王攘夷

友達に説明した際に、

公武合体は、朝廷と幕府が手を組んで額国から日本守ろう
(このままではヤバイから、朝廷と幕府が手を組んで武力を使わず外国追い払う)

尊王攘夷(尊王+攘夷)は、武力で外国から日本を守ろう
(天皇をラブだし、天皇が嫌いな外国を武力で追い払う)

平和的か武力で攘夷を行う違いだと思ってました。

元々、全ての人は尊王(天皇を敬う)という考えは持っていたと思ってますし
攘夷も持っていたと思うんです。

でも、いろいろネットを見てると、
公武合体も、2種類あって

幕府と朝廷が手を結んで、外国に負けないような国にし、開国していこう
孝明天皇が大の外国嫌いだったので、幕府と朝廷が手を結んで外国を追い払おうと
公武合体派でも、2種類の考えがあったようで(薩摩も孝明天皇と同じ考えだったような)


公武合体は、手を組んで外国を追い払うと説明してしまってる為
友達に間違えて説明してしまったんではないかと。


公武合体派は、朝廷と幕府が手を組んで日本を強くして外国を追い払うが正解なのか
外国を追い払わず、日本を強くして外国から色々吸収して行こうが正解なのか


正解が何かわからなくなってしまい、詳しい方教えていただけると幸いです


友達に聞かれて、話したものの間違った説明のままだと
せっかく質問してくれた友達に失礼になってしまうので
よろしくお願い致します。


ちなみに、
攘夷派がその後、倒幕派になっていくことも
自分の中ではわかってるつもりなので大丈夫だと思います

攘夷=倒幕でなく、
中には開国派もいたので、

とにかく幕府には任せられないから幕府を倒して
自分たちで新しい政府をつくって日本を変えていこうっていう考え


↑もし違っていたらこちらも教えて下さい。


よろしくお願い致します。

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ベストアンサーに選ばれた回答

mar********さん

2019/1/510:54:09

幕府と薩摩の公武合体の違いについては、参預会議のあたりを調べると理解しやすくなると思います。
簡単にまとめると
幕府…和宮降嫁により朝廷との結び付きを強め、幕府の意見が通りやすくしたい(幕府ファースト)
天皇…和宮降嫁の条件として幕府が攘夷(条約破棄)を約束したので、早く実行してもらいたい
薩摩…朝廷・幕府・大名が皆で話し合って政治の方針を決めたい(オールジャパン)

つまり、本当の対立は「幕府中心の政治vs雄藩の政治参加」の争いでした。
幕府が薩摩の政治参加を認めないので、最終的に倒幕しかないとなったわけです。

攘夷については幕府も薩摩も、暴力的に外国人を追い出すべきだとは考えていないので、そこでは対立していません。
ただ、幕府が天皇にやれもしない攘夷実行の約束をしてしまったので、それにどう対処するかで、政治的な駆け引きが始まりました。
孝明天皇は幕府がなかなか攘夷を実行しないので、薩摩にやってほしいと何度も頼みました。
島津久光は立場上はっきり断れないので、幕府と雄藩による参預会議を開いて、そこで攘夷はしないという決定をし、皆の意見だからと言って天皇を説得しようと思いつきました。
しかし徳川慶喜は薩摩に発言力をつけさせないため、攘夷(横浜鎖港)をすることにごり押しで決定します。
数年後には、兵庫(神戸)開港を時期尚早とする薩摩に対して、慶喜は力づくで開港を決定します。
つまり、常に幕府=開国派、薩摩=攘夷派ではなく、政治の駆け引きによって攘夷・開国の主張はころころ変わりました。

攘夷というと長州が外国船を砲撃したり、水戸藩士などが外国人を斬ったりと過激な攘夷派の暴力的な外国人排斥運動ばかりにスポットが当たりがちですが、文久ごろに天皇・幕府・薩摩などが議論していた攘夷とは、主に通商条約破棄と貿易港の閉鎖によって外国人に出て行ってもらうという意味でした。
ただし外国はこれに反発して戦争も辞さずという回答なので、実現できる見込みはゼロでした。

薩摩は、日本が鎖国していた時も外国と交易していたぐらいなので、通商に反対はしていません。しかし外国船による暴力や圧力、中国船からの情報にも触れていたため、幕府や雄藩が協力して外国から日本を守るべきだと考えていました。
言い換えると、自分達からは外国を攻撃しないが、外国から仕掛けてきたら断固として抵抗するという姿勢です。
生麦事件も、外国人の無礼が一線を越えたから斬られただけで、最初から何もしていない外国人を狙った行為ではありません。

  • 質問者

    ban********さん

    2019/1/807:06:32

    私の中で、幕府は開国したので開国派
    (公武合体は、回答下さったように
    幕府のメンツを護るために、朝廷を手を組んで
    幕府の威厳を保つためのものと理解することにします。
    孝明天皇が大の外国人嫌いで、幕府に攘夷をしてもらいたい
    ということはちよっと置いておいて)

    薩摩は、佐幕派でしたが、書かれていたように
    慶喜により、政治に参加できなかったので
    倒幕するしかないってことですよね。

    武力で戦えないことも薩英戦争も経験してますし
    武器も買ってましたし、
    長州は、倒幕・攘夷だったけど、力がなく武器も数がなかったので
    まずは幕府と戦う力を手をいれるために、倒幕という
    考えが一致した薩摩と手を組んで外国に負けない力を
    つけて追い出していこうという。。

    来航により開国しましたが
    そもそも幕府は開国して外国と貿易したかったのか
    井伊直弼が勅令を待たずにただ開国したかっただけなのか
    開国はするけど、いずれ攘夷するつもりだったのでしょうか?

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ojy********さん

2019/1/503:17:14

公武合体は主に開国です

ただ、公の頂点の孝明天皇が攘夷派だったから色々と揉めたわけ

>攘夷=倒幕でなく、
中には開国派もいたので

攘夷は開国の反対です
なので攘夷派の中に開国派はいない
(大攘夷という考えもあるが、これを言うとややこしくなるので
とりあえずは無視)
しかし佐幕派はいるわけです
有名所では新選組がそれです

つまり
倒幕ー佐幕
攘夷ー開国
この4つに分けて考えたらいい
組み合わせると4通りあったわけ
最終的に倒幕、開国が勝った

公武合体の捉え方として倒幕は居ないと言うだけです

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