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古墳の用途について。 古墳は被葬者の埋葬施設ではあるが、その祭祀目的として...

c6c********さん

2019/1/2223:14:10

古墳の用途について。

古墳は被葬者の埋葬施設ではあるが、その祭祀目的としては「法要・供養」ではなく「祈願」が大きいのではないでしょうか?いかがでしょうか?私としては現在の神社というの

に大きく影響しているのではないかとふっと思ったのです。

例えば、大神神社のように拝殿のみというお社という形態が御座います。縄文より続くお社はほぼこのような雰囲気を護っているのでしょう。
ですが3世紀以降、大陸の文化が入ると埋葬の思想も変化して「祖霊神」として祀るようになると首長墓も吉相を気にするように、立地や大きさを考慮して設計設置に到ったことでしょう。

葬られるのは「自然神」と同等に位置するようになる人格神としての「祖霊神」。古墳というのは神奈備、或いは大陸から輸入された「蓬来」であったかも知れません。つまり、古墳が本殿に相等。
古墳に葬る前には殯が行われ、死穢を浄化し御神体として醸成され法要の終了とする。
拝殿は?といえば、一例を挙げますと吉備の造山古墳。この古墳の大きさは日本で4番目でしたでしょうか、上位の大きさを誇る仁徳、応神、履中天皇陵より古いとされています。
造山古墳の南西部に二段の方丘が確認されており、ここから夏至の朝日が造山古墳の方向に現れるとのこと。天壇としての後円部とも見ても良いのでは?とも。
この地壇が拝殿の原型となるのではないか?この形は後の仁徳天皇陵にも踏襲される。
この地壇において、様々な祈祷が行われたと思います。

やがて、仏教文化が輸入され縄文時代よりの「自然神」のお社には木造建築物としての拝殿、人霊を祀るお社には拝殿、本殿が設計建築され「祈願」の場所とした。地壇は現在においては参拝所、参集殿、勅使殿などの様々な施設増設することによって役割移譲に発達したのではないでしょうか?

また、平安期より持仏堂などの本格的な仏教様式の「祈願祈祷」に付加価値として「法要」をする寺院へと移行したのではないでしょうか。
後の明神、権現、一部の御霊信仰以前の人霊を祀る神社はあまり見ないような気がします。

お時間都合許される方、投稿お待ちしております。

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ベストアンサーに選ばれた回答

mth********さん

2019/1/2301:27:54

古墳は宮内庁が管理していますが、いまだに、内部調査をさせません。

本当のところ、どなたが埋葬されているか、不明なのです。

伝承として伝わっているのも、江戸時代の調査に基づくものです。

それはともかく、奈良時代からすでに養老令には陵墓祭祀が規定されています。現在でも、宮内庁がいくつかの陵墓で式年祭をやっています。

神武天皇や応神天皇をはじめとする天皇をお祀りする神社は、特別です(神仏分離令より前は、別の祭神だった可能性高い)。

明治神宮も特別で、近代日本が国策として造ったものでしょう。

古墳祭祀は、今も昔も、宮中の関係者だけで、ひっそりと営まれていて、あとは御所の皇霊殿で合祀されている先祖霊をお祀りしています。

ご指摘のとおり、渡来系の文化とそれ以前の文化では、死者の考え方が異なっています。

縄文時代の思想では、死者はとにかく生き返らないよう、注意を払っていた傾向があります。

墓を礼拝するようになったのは、渡来系の思想、特に仏教の追善廻向の思想が強いのでしょう。

江戸時代までの宮中祭祀も、陰陽道・仏教にズブズブでしたから、様々な思想が混淆して祭祀が成立していたと思われます。

たとえば古墳のルーツともいえる中国系の文化では、墓は「陰宅」と呼び、生者の住まいと同じような重要性をもちます。

陰宅風水では、測定する羅経盤も高精度が求められ、現代でも、0.6度まで測ります(陽宅風水は6度〜15度単位)。

死者はあの世で安らかに過ごしていただくものであり、騒がしくして起こすものではなかったようです。

さらに厄介なことに、日本には「山」の信仰が古くから存在します。

ヤマとは、闇とつうじていて、それはヨミ(黄泉の国)の語源とされます。

つまり死者の国は、ヤマにあるという信仰が、太古の日本からあったようなのです(古墳も人造のヤマです)。

祖霊がヤマに帰って住み続けるというより思想にいち早く目をつけたのが、仏教です。

仏教はヤマの信仰とうまく同化し、理論化されて、高度な思想を形成しました。

このような複雑な思想の絡み合いがあった古墳祭祀も、明治の廃仏毀釈で、かなりのダメージを食らってしまいます。

ヤマの信仰も、宮中祭祀も、神社神道も、仏教も、原型を留めないほどに壊されてしまって現在に至ります。

  • 質問者

    c6c********さん

    2019/1/2312:57:19

    回答頂きまして大変有り難う御座います。と、思いましたらお昼休みが終わりそうですので取り敢えずお礼までとして熟読させて頂いた後、改めてお礼伺わせて頂きます。

  • その他の返信(4件)を表示

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質問した人からのコメント

2019/1/25 21:55:48

皆様、回答頂きまして大変有り難う御座いました。私の盲点或いは勘違い、思い違いが改めてわかりました。
鎮魂は確かに生きてる者に対するものでしたね。以前、石上神宮の神拝詞を購入して調べたことがあったので思い出しました。
歴史研究のアプローチも様々な可能性があることもわかり大変面白い回答ばかりでした。
有り難う御座いました。

ベストアンサー以外の回答

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she********さん

2019/1/2401:07:47

用途になるのか分かりませんが、
中国朝鮮半島情勢の影響で日本も統一国家化しないと
危険という意識が生まれて、
弥生時代は国が数百だったかに分かれていて
それぞれの国が独自の歴史があったんでしょうけど、
他国を意識しないと自国も意識できないですから、
統一の必要性が意識される、統一しないと他国も自国も
そのものがなくなってしまうかもしれないという危機感が生まれ、
その辺りが古事記の天地開闢の話しなんだと思うのですが、
他国への意識が強くなると自国と自国を治める豪族への意識も強くなり、
そこにはおっしゃるような祈願もあったのではないでしょうか。
私個人が想像すると祈願もそうですがどうなるんだろうという不安から
すがりたい気持ちが沸きます。

いまはお墓は自宅から離れてありますけど、
縄文弥生の頃は集落の中に共同墓地があったそうなので、
常に死んだ人とも一緒に暮らしているという意識があったはずで、
そこから考えないと古墳への気持ちもズレてしまうように思います。
死んだら皆神様という神道の考えもそこから想像しないと
分からないのではないかと思います。

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sir********さん

2019/1/2308:07:46

私も同じように考えております、

古墳より昔の、貝塚が、日本には多く発見されていますが、その概念は通ずるものがあると考えています。

人類が生き残るために宗教は大きな役割を果たしてきたのではないでしょうか、

人類は古代から、大自然に感謝すること、生命の不思議、太陽信仰などを持ち、助け合って生きる知恵を獲得したから現代まで生き残ってきたと思うのです。

日照りや台風、地震、噴火、によって、幾度となく村々が壊滅し消滅することを繰り返してきたのです。

大自然の中で生きてきた人類は、大自然に対し恵への感謝と、災害への恐れを強く持っていたでしょう。

人類が現代まで生き残ってきたのは、助け合う精神の大元となる信仰があり、集団で【社会】を作り上げる知恵を獲得したからです。

貝塚も古墳も、その思想は生命の偉大さに感謝し太陽や大自然を敬い平安を祈る力によって作られたものだと思います。

それは現在の神社にも繋がっているものだと思います。

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