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昔のF1で アイルトン・セナとアラン・プロストのセナプロ対決が有名ですが、あの事...

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ID非公開さん

2019/2/509:58:24

昔のF1で アイルトン・セナとアラン・プロストのセナプロ対決が有名ですが、あの事件を招いたのは、1989年のサンマリノグランプリですよね。セナがプロストに紳士協定を伝え、レースの決勝を迎えた訳ですが、セナ自

身が、紳士協定を破って優勝しました。その後から、セナとプロストの関係にヒビが入る訳です。セナは、あたかも、プロストを悪人のようにでっち上げてますが、プロストは、コース上ではフェアだし、傲慢さがありません。一方のセナは、勝つためなら手段を選ばないというか、自分からすれば、セナの方がひどいと思います。プロストは、若手の頃は、結構アグレッシブなドライビングをしていましたが、キャリアを重ねるにつれ落ち着いた走りになり、「プロフェッサー」と呼ばれるようになりました。一方のセナは、デビューの頃から走りが変わってないように思いました。 94年の同じサンマリノで、悲劇が起こってしまいましたが。

補足自分は、セナ、プロストが走っていた時代を知りません。父の持っていたVHSでセナとプロストを知りました。 自分は、パトレーゼが好きでしたけど。

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pan********さん

2019/2/515:50:01

現役で見ていたオジサンです。
パパロズベルグやピケット(笑)の頃から眠い目をこすって深夜放送を見、雑誌を読み漁っていたクチです。

プロストも元々はアグレッシブで速いレーサーでした。ポールを取って、最速ラップを刻んで、でもクラッシュしたりエンジンブローしたり...

そういう脆さもあって、地元ルノーのマシンで最終戦で、マクラーレンでは最多勝を取りながら最終的にニキ・ラウダに、それぞれギリギリのところでチャンピオンを取り逃します。

フランスメディアからバッシングされ、スイスに家族とともに移住せざるを得なかったプロストは、「メディアを味方につける事」「ポイントを地道に重ねる事」に特化したドライバーに昇華し、結果複数回の王座に就くことになります。

88年の時点では最終的にはセナがチャンピオンになったものの、プロストからすれば「一発は若い事もあって自分より速いが、メンタルもまだまだ、ミスもある」若手ですから、昔の自分を見るようだったのではないかと思っています。二人とも話す際に笑顔がありましたしね。

ですが、冬のバカンスを終えた成長したセナは、もはやプロストが届かないレベルに成長していました。プロストは多分「同じチームでは勝ち目がないから、政治力なりコーナリング性能なり、違うチームの違うマシンで戦うしかない」と早々に悟ったのではないでしょうか。

ただ、そうは言っても89年を捨てることは無論、「セナ>プロスト」というヒエラルキーを作ってしまわれると以降のF1キャリアに大きく影響が出ます。ですからメディアを、FIA会長を味方につけ、あそこまでしてチャンピオンを獲得したんだと思います。

確かに因縁勃発はサンマリノですが、プロストは「多分セナなら抜いてくるだろう」と分かっていて、でもマスコミ論議の俎上に持ってこれるオイシイ場面だったと考えていたように思えます。もし、あそこでセナが紳士的に後ろにつけたとしても、シーズンのどこかで(序盤でしょうけど)セナを叩く方向に持って行ったと思います。

94年の事は既にお答えがありますが、二人の因縁は関係ないと思っています。

個人的にはセナがもうちょっとだけ遅くて、もうちょっとだけ協調性のあった人であれば、セナとプロストも、シューマッハとハッキネンみたいな感じでなんとかなったんじゃないのかなぁ、とか思ったりしますね。

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    質問者

    ID非公開さん

    2019/2/515:55:24

    そうだったんですね。貴重な意見ありがとうございます。プロストは、政治的交渉が上手かったんですね。当時?のジャンマリーバレストルは、プロストひいきでしたよね。

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osi********さん

2019/2/518:44:35

そもそもサンマリノの紳士協定は「お互い1コーナーまではバトルをすることは避けよう」というものでしたが、セナが抜いたのはトサコーナー。

トサの前にはタンブレロ、ヴィルニューヴもあり、事実上セナが抜いたのは第3コーナーです。

また、ビデオで見れば分かりますが、セナは横に並ばせないための幅寄せはえげつないほど行いますが、真横に並ばれたら幅寄せをやめる潔さがあります。

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tlu********さん

2019/2/512:05:15

まず94年のサンマリノはセナのドライビングスタイルとは何も関係ありません。
あれはドライブシャフトが破損したのが原因ですので。
1988年の中盤辺りからこうなる予兆はありましたよ。
あの二人が組むと決まったときから何かあると思った人もいると思います。
1989年のサンマリノはセナに非があると思いますが 鈴鹿はプロストの確信犯ですね。それで1990年にセナが仕返しをしました。お互いに非はありますが
それが人というものだと思います。
人間ドラマがあって私はいいと思います。
人によってはセナは自己中心的でプロストは姑息と言う人もいますが、誰だって欠点はありますから。
プロストはニキ・ラウダの影響も受けて良い走りになりましたね。セナはドライビングスタイルは変わりませんでしたが
プロストと組むようになってから確実に結果を残すようになりました。
もう鈴鹿のシケイン接触事件から今年で30年で平成も終わろうとしています。
セナとプロストは素晴らしいバトルもしていて二人は偉大なドライバーでした。
私はセナ、プロスト、マンセル、ピケがいた夢のような時代のF1をリアルタイムで見れて良かったと思っています。

まず94年のサンマリノはセナのドライビングスタイルとは何も関係ありません。...

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suo********さん

2019/2/511:34:56

セナは、あたかも、プロストを悪人のようにでっち上げてますが、プロストは、コース上ではフェアだし、傲慢さがありません。

⇒何をもってでっちあげたと思ったの??

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なかっちさん

2019/2/510:04:16

プロフェッサーは教授
教科書どおりのお手本のような走り方をするのでそう呼ばれた。
どこをどうラインどりするのが効率が良いのか、そういうのを無理せずきっちりやる

セナはアグレッシブに攻めた走り。

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