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遠山の金さんでググると遠山陰元成る人物がヒットしますが、本当に桜吹雪の入れ墨...

ma_********さん

2019/2/2208:17:07

遠山の金さんでググると遠山陰元成る人物がヒットしますが、本当に桜吹雪の入れ墨を入れた遊び人を語り実はお殿様とは本当の話なのですか?よろしくお願いいたします。

補足遠山景元の間違いでした。

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ベストアンサーに選ばれた回答

mar********さん

2019/2/2211:01:19

桜吹雪や遊び人に関しては当然ながらフィクションです。
殿様というのは、旗本のことを殿さまと呼ぶ人もいるので間違いとは言えないけれど、500石程度なんで旗本としてもそんなに大身ではないですね。同じく町奉行としてドラマでよく出てくる大岡越前と比べると遥かに少ない知行地しかありません。

景元が天保の改革時に芝居小屋の廃止を食い止めたので、それに感謝して景元を主人公とした芝居が作られたってことのようです。

質問した人からのコメント

2019/2/22 17:02:04

皆さん回答ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

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kaw********さん

2019/2/2213:17:31

若い頃遊んでいて刺青があった。兄があいついで死んだので家督を継ぐはめになったのです。

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edo********さん

2019/2/2212:27:53

遠山金四郎景元は家禄500石の旗本です。複雑な家庭事情から若いときに放蕩無頼の生活をしていたのは事実ですが、入墨をしていたというのは事実ではないと思います。おそらく後世の作り話だと思います。

ojy********さん

2019/2/2212:02:10

これは、調べた人もいるけど
結局は分からないが結論
桜も生首も確証はありません
金さんは入れ墨禁止令を出してるがこれをどう取るか・・・

遊び人というのは本当で
若い頃は遊び回っていたらしく
親から謹慎をくらってる

中間管理職とか書いてる人が居るが
旗本ならどんな石高だろうと立派な殿様です
妻も奥様と呼ばれます
大奥の奥です

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goo********さん

2019/2/2211:15:21

夏だというのに長そでの下着を着ていたとか言われています。いくら何でも武士たるものが彫り物(刺青は本来、罪人に施すもの。かっこつけにファッションとして入れるのが彫り物)などしないという意見がありますが、金さんの生きた文化文政時代は文化が爛熟退廃し武士もかつての剛健さはどこへやらの時代ですから、次男坊だった金さんがグレて彫り物を入れるようなことはあったでしょう。

そこでよく言われるのが彫り物はあったが、桜吹雪でなく女の生首が巻物をくわえていたという町人の「証言」です。

桜吹雪のような粋な図柄はどちらかと言えば元禄期のもので、女の生首と言った退廃的な図柄は文化文政期の流行です。
だからこれは信ぴょう性は高いと思います。

しかし遊び人になって普段は市井で暮らす、というのはフィクションです。大岡越前でもそうですが、江戸の町奉行は都知事、警視総監、裁判所長を兼任したような重責でしたからとても昼間から町人たちとだべっている閑などありません。

金さんは若いころ町人たちに接していたことから下情に明るく、天保の改革で町人の奢侈が禁じられ、芝居小屋も閉鎖させようという動きに反対し、それらを保護したから江戸っ子の人気を得たのです。

ina********さん

2019/2/2211:02:05

遠山景元の実家は数代前に養子を入れた後に実子が生まれたということがあり、以降、二つの家系が交互に家督を継ぎ、隙あらばどちらかを追い出そうと画策するという殺伐とした家でした。
こうした環境に嫌気が差したのか遠山景元は10代後半の頃に家を出て、10年ほど遊び人として一般市民となって暮らしました。
この時彫り物を入れたとされますが、それがどんなものだったかは正確には伝わりません。
一説に桜吹雪、もう一説に女の生首、さらには桜吹雪を入れようとしたが痛かったので花びら数枚で終わった未完成だったともいわれます。
10年後、家督争いに実父が完全勝利しもう一方の追い出しに成功したことから、遠山景元は実家に呼び戻されて結婚、家督を継がされます。

この経緯から遠山景元は珍しい庶民感覚を持った旗本となりました。
水野忠邦の天保の改革が始まると遠山景元は北町奉行に抜擢されますが、時代遅れの経済統制・市民引き締め政策には従わず、庶民に抜け道指南などを行なったり、便宜を図ったりしました。
もう1人の南町奉行矢部定謙も筋道立てて理論ずくで政策を否定しておりました。
水野忠邦は奸臣鳥居耀蔵の策謀に乗って反対者の粛清を考えますが、自分が抜擢した人物を一度に粛清しては自分にも傷がつくと、うるさい矢部の方をだけをとりあえず失脚差させ、その後釜を鳥居耀蔵としました。

また芝居小屋の一つが火災を出したことで水野と鳥居は芝居小屋全廃という政策を掲げましたが、遠山の進言と機転により「芝居小屋は浅草に追放」という処分に終わります。
この結果、あらゆるジャンルの演劇人が遠山を恩人とみなし、『遠山の金さん』ものを上演、水野と鳥居の失脚後は「遠山=正義、鳥居=悪逆」という構図の演劇が盛んに上演されました。

数年後遠山景元は一旦名誉職になっていた大目付に祭り上げられ政治から切り離されますが、水野と鳥居の失脚後に願い出て南町奉行となり、隠居するまで務めました。

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