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真田信繁が九度山配流中、焼酎を無心したという河原左京について調べています。特...

wak********さん

2019/3/500:51:08

真田信繁が九度山配流中、焼酎を無心したという河原左京について調べています。特に当時、彼がどこに居たのかについて出典も含め知りたいです。歴史に詳しい方、どうぞ教えてください。

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kan********さん

2019/3/1114:00:29

この書状は「左京殿」宛てであり、厳密に言うと河原氏かは分かりません。

姓が記されていない場合、一族の可能性があり、河原「右京」を「左京」と誤記したというのが一般的な見方です。そこで「左京殿」=「河原右京」=河原綱家とみられているのです。綱家は大河ドラマ「真田丸」にも登場した、祖母河原氏の甥です。真田丸の時代考証を務めた平山優氏は綱家は当時大坂にいたと見ています(『真田信繁』角川選書)。

一方、同じく時代考証を務めた丸島和洋氏は綱家は当時上田領の支配に関わっていたとして、文中の「暇なときに下ってきて」という表現が地方の上田から高野山へ「下る」という表現への違和感を指摘します。さらにこの文書は「蓮華定院文書」にあり、一緒に伝わった真田信之の「西山左京」宛て書状もあることから、信繁はこの西山左京に焼酎を依頼した可能性があるとします(『真田信繁の書状を読む』星海社)。左京は足利義輝の孫とされる人物で、丸島氏は信繁馬廻時代につながりができたとみています。

河原親家については、丸島氏の『真田一族と家臣団のすべて』(新人物文庫)か『校注本藩名士小伝真田昌幸・信之の家臣録』(高志書院)を読むのがよいと思います。

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