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江戸前期の天領手代、大身旗本領手代は苗字帯刀も許されず、一代限りの役人であり...

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ID非公開さん

2019/3/512:34:00

江戸前期の天領手代、大身旗本領手代は苗字帯刀も許されず、一代限りの役人であり村役人、大金持ちのみで一般人からは登用はしないですよね?
手代の給料は10両くらいは貰えたみたいですから、

一般人は手代に、なりたかったみたいです
それと手代は人数も10人たらずで、狭き門だったみたいです

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2019/3/818:23:37

手代は、
名主層から任命されることが殆どですね。

江戸期の初期以降、代官は数年で転勤していく例が殆どでした。
そのため、現地での徴税事情に長じた人材が徴税要員として必須となったため、
現地採用の手代が雇用されるようになりました。
代官役所側には幕府差遣わしの手附人:添役が3~5人程度幕府徴税官として任命されていました。

手代は、
士分者の扱いではありませんが、代官所役人としての権威づけのため手代に任命された場合、名字帯刀を許され、
業務を行うため、役料として、20両五人扶持或いは30両五人扶持が支給され、
5人程度の手伝い人(扶持人:奉公人)を置くこととされていました。

多くは江戸駐在の連絡要員、現地での検見手伝いとして、
本家・分家から出され、添え役・見習いとして、現手代が致仕した時にその職に就き、江戸中期頃からは何か問題が出なければ、実質世襲になりました。
抱え:一代職なので、天領では公認世襲とはなりませんでした。

地元での採用ですが、
徴税管理者なので、ある程度の資産家でないと任命されません。(金で転ばれると代官の立場がなくなる)

また、手代のカウンターパートの納税者側の名主などと馴れ合わないように、代官や代官手附のチェックも厳しかったようです。
江戸詰め手代は一種の人質で、現地手代が分家当主・江戸詰めは本家当主、
現地手代添え役に本家継嗣、江戸詰め添え役が分家継嗣などという例も見ました。

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    質問者

    ID非公開さん

    2019/3/820:17:57

    ご回答ありがとうございます。手代の役料20両になったのは確か江戸中期からでしたっけ、間違ってたら、ごめんなさい
    在地代官の場合は手代を世襲したみたいですね
    名主層から任命されるとは、知りませんでした

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