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元カープの大野豊氏はテスト生でカープに入団したんですが 入団テストも何もなく...

kaw********さん

2019/3/908:58:11

元カープの大野豊氏はテスト生でカープに入団したんですが
入団テストも何もなく採用されたと語ってました。
当時 広島カープの入団テストはそんな感じなんですか?

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mic********さん

2019/3/912:15:22

大野氏のケースは、「テスト入団」と言っても、秋に各球団が行っている入団テストからの採用とはだいぶ異なっています。
10月ころに行う入団テストだと、一次で遠投と短距離走で身体能力を見てふるいにかけ、そこを通過した人だけが二次テストで実技をチェックして採用するかどうかを決めるという流れが普通でした。
カープの名スカウト木庭氏の事を書いた、後藤正治氏の「スカウト」によると、大野氏の入団の経緯は
・出雲信金に勤務していた大野氏がプロ志望であった。
・出雲信金軟式野球部の監督が、元カープの主力でコーチも務めた山本一義氏と同窓だったので、山本氏を通じて売り込んだ。
・山本氏からの依頼で、スカウトの木庭氏が出雲まで見に行った。
・木庭氏は、「大野豊」と言う名前は知らなかったが、それは高校時代は父方の「勝」姓を名乗っていたためで、「勝豊」のピッチングは何度か見ていた。
・実際にブルペンでの投球を見て、木庭氏は採用しようと決めたが、形だけテストをするということにし、1月ころに大野氏に広島に来てもらって、ブルペンで何球か投げさせ、コーチ陣に見せた。
・そのうえで採用した。
といった流れのようです。
このように、普通の入団テストとはだいぶ異なっており、特殊なケースと考えられます。

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s_h********さん

2019/3/912:39:48

大野は高校3年の夏には島根県でも注目され強豪社会人チームからの誘いもあり広島のスカウト木庭教もマークしていましたが当時の大野は体力的に自信がなく母子家庭で苦労をかけた母のため軟式ながら地元で唯一野球部がある出雲市信用組合へ就職しました。1976年に出雲市内で広島東洋カープの野球教室が開かれ当時の山本一義打撃コーチと主戦投手池谷公二郎が講師として参加。出雲市信用組合野球部員は手伝いをすることとなり大野の高校時代の監督が山本打撃コーチと法政大学野球部の先輩後輩の関係であったため高校時代の監督へプロへの道を作っていただけないかと頼みました。恩師に頼んだ経緯もあり翌1977年2月に特別に受験することとなり呉市営二河野球場で行われていた二軍キャンプにおいて山本と木庭教の立ち会いのもと一人だけの入団テストを受けて合格し軟式野球出身という異色の経歴で広島にドラフト外入団を果たしました。

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me3********さん

2019/3/911:11:22

呼ばれて連れて来られて、ほんの何球か投げたら (形だけ) 「じゃぁ」 と言うのを聞いた事があります。

sea********さん

2019/3/909:18:39

スカウトの神様と評された木庭さんに一任されていたのではないですかね

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