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良い宗教の選び方。。

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ID非公開さん

2019/3/1007:17:22

良い宗教の選び方。。

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■カルト=宗教を利用して反社会的活動をする集団

■カルト宗教=独善的な教えにより、他者に迷惑をかけても平気になる、教えの強要により精神を崩壊したり、死亡させたりする

■マインドコントロールをする宗教団体=この世の中は悪だから滅びればいいと思ったり、世の中を憎んで教団の外へ出られなくするマインドコントロールを使う宗教はヤバイ。精神を崩壊させる危険あり。

◆良い教えを広めるため、組織を運営するのはお金は多少必要です。
皆が無理のない寄付をして助け合う団体なら良い団体、しかし、異常にお金を要求したり詐欺行為までさせてお金を集めさせる集団はカルトです。

◆自分たちだけが正しくて他は間違っていると教え、寺や神社に火をつけさせるような教えはカルトです。
異教徒の悪口を言って貶めようとすることも同義。


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これらを踏まえて、
良い宗教団体とは。

★皆が少しずつお金を出し合い、イエスやブッダの教えから良い生き方を学び、社会に貢献し、心を安定させ、人生を向上できる団体。

★異教徒であっても、尊重し、共に幸せになる道を探す努力のできる団体

★隣人を愛せる人、隣国を愛せる人、隣国が愛している神までも愛せる人、

これが良い宗教の条件だと知っていれば、カルトに騙されることはありません。

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ベストアンサーに選ばれた回答

rtl********さん

編集あり2019/3/1009:13:12

カルト宗教という区分は

元々カトリック系で始まった聖人崇拝から始まります。(カルトの元々意味は崇拝)

一神教では人を神様扱いする事を基本的に禁止していますが、尊敬される聖人が信仰の対象になることがあります。

それを許してしまっては分派が出来てしまうので異端として弾圧したのです。

当時の反社会的勢力(反キリスト教勢力)人を神として崇める行為。キリスト教はイエス・キリストを神聖視するので、それだけでもカルト的ではあるのです。

新宗教であれば反社会性はあって当然だと思います。

新宗教が世の中の常識と同じ主張をするのであれば、存在価値すらありません。

問題なのは反社会性の内容だと思います。

天理教の立教当時は男尊女卑が当たり前化している社会体制で、女性に相続権すらありません。

その社会で男女平等を説き、儀式の上でも反映されています。

当然、反社会的であり弾圧の対象になりますが、今は男女共同参画が当たり前になりました。

このように人類の未来に光をもたらす反社会性は歓迎すべきでしょう。

問題はその新宗教が掲げる先進性を私達に見抜けるのかどうかにかかっています。

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    質問者

    ID非公開さん

    2019/3/1018:11:57

    おっしゃる通りですね。

    男尊女卑の時代に、男女平等を説いたことは勇気のいることです。
    それが多くの人を救い、人類の発展につながる、そういう教義は良いものだと思います。

    内容を理解し正しい視点で研鑽することが必要だと思います。

    助かる命を助けない(医療拒否)の教えや、いたずらに文明を批判するだけの教えは危険だったりしますので、正しく見極める力が必要だと思います。

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質問した人からのコメント

2019/3/14 21:47:51

ありがとうございました

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oka********さん

2019/3/1113:26:57

宗教の教えは学生のものであるべきでは?学生だったら誰のものでもない場所で哲理を語れます。組織人(大人)になると教理になるのでは?

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dol********さん

2019/3/1019:44:52

宗教心は自然なものですが、
組織された宗教は全て独善的なものです。


アインシュタインは全ての組織された宗教に反対を表明して、若い人に、組織原理に服従するのではなく、自己の良心に従う自由な人間になることを求めています。
さらに、アインシュタインは語ります。「(宗教)という言葉を聞いたとたん、身震いがする。教会は、いつも権力者に自らを売り渡し、義務の免除と引き換えに、どんな取り決めにも応じてきたんだ」

私の教会は自己の良心の中に存在すると述べます。



そして、人間の社会に介入する人格神を一切否定しています。

「神という言葉は、私にとっては人間の弱さの表現であり産物に過ぎず、聖書は、子どもっぽい、原始的な伝説に過ぎません。」

しかし、自然の法則に自己を顕現するスピノザの神なら信じると述べてます。

アインシュタインはキリスト教に迫害されたユダヤ人なので、組織宗教の持つ悪や暴力性を深く知っていたのでしょう。


アインシュタインはキリスト教が自分を利用するのを不愉快に思っていました。

アインシュタインはこうも言っている。

「もちろん、私の宗教的確信についてあなたがたが読み取っているものは嘘、故意に繰り返されている嘘である。私は人格神を信じておらず、その事実をけっして否定したことがないばかりか、明確にそう表明してきた。」

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tlu********さん

2019/3/1017:55:25

最初の回答者様に同意です。
まず世の中、物事は疑ってかかれは世界共通です。
それは宗教も例外ではありません。
疑うから調べて物事を深く考えることから始まります。
これをただ自分達の教えが正しいから従いなさいと根拠もないことを言う宗教はエセ+ダメ教団だと思います。
それを純粋に信じている人達も迷惑です。
周囲に迷惑をかけなければ何を信仰しようが勝手ですが。
ある仏教系のトリオ教団は周囲に迷惑をかけているのでやめて頂きたいです。
トリオの間だけで勝手にやりあって下さいと言いたいです。
私にとってはどうでもいい教団です。

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sho********さん

2019/3/1011:53:07

良い宗教などありませんので、時間に無駄です。

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fak********さん

2019/3/1010:09:02

宗教を選ぶという行為はありません。結婚や葬儀で宗教的儀式として選ぶものはあるが。
宗教を信仰するという気になるのは、恋に落ちるのと似ている。めぐりあって心惹かれ、ときめくものを感じるから。そうでない信仰はかたちから入ってみようというのも有りだが。

そして「良い宗教」というものはありません。人々があつまって何かの目的に行動するとき、宗教色を入れないのが世界標準です。それは誰もが常識としていること。そして国家自体も、宗教国家というものは現代ではイスラム以外にありません。

むかしのキリスト教国や国家神道があった日本は、宗教は取り除いて習俗としてかたちの一部が残っているだけ。

新興宗教はカルト性を警戒されることが多いが、伝統宗教でも反国家活動を熱心におこなう集団がある。日本のカトリックがそれである。日本の司教団の名前で、反政府、反皇室のメッセージを出し続けている(※)。

オウムのように実力行動に出なければ反社会的と言わないのだろうか。言論は自由だからと反政府即ち反国家をぶちあげ、反皇室で日本人の統合を壊そうとするのは反社会のカルトではないのだろうか。そうだろう、法的に有罪にならない安全なところで、カトリックは日本をこわすキャンペーンをしている。一例として挙げた。

(※)カトリック中央協議会文書を参照。

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