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日本がこうも宗教に無頓着なのはどうしてでしょうか?

bur********さん

2019/3/1100:48:30

日本がこうも宗教に無頓着なのはどうしてでしょうか?

日本人の大多数は仏教だと思いますが、クリスマス祝ったりなど他の宗教との壁をまるで感じません。
私はこれで良いと思っていますが先ほどのイランで公開プロポーズをしたところ西洋に影響されて国の秩序を乱すとして逮捕された事件をみました。日本では考えられない事件ですがどうしてこんなに他の宗教の文化を取り入れるような形へと変化したのでしょうか?

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zop********さん

2019/3/1701:14:06

織田信長の贈り物(塩野七生)だという意見を紹介します。


織田信長といえば比叡山の焼き討ちを行ったという残虐な面が強調されがちですが、比叡山だって「天文法華の乱」をやらかしましたよね。

「天文法華の乱」とは比叡山延暦寺の僧徒が京都の市中に あった法華宗(今でいう日蓮宗)の寺院をすべて焼き討ちしてそこにいる人間を皆殺しにしてしまった事件です。

この時は被害者だった法華宗も天文法華の乱の4年前には山科本願寺を焼き討ちにしています。

戦国時代の頃は、僧侶が兵具を帯し破戒無惨の行為がいたるところで公然と行なわれていたといいます。

悪評は海を越えて広く知れわたっていたようで、中国の章漢が著した『図書編』には、「紀伊の頭陀僧三千八百房のごときは、専ら武芸を習い人を殺す」と載せています。

他にもさまざまな形で強大な武力を持つ寺社は利権を貪っていました。あるいは武力を持って教勢を拡大しようとしたのです。

織田信長の楽市楽座が施行されるまでは、日用品の製造販売は許認可製となっていました。そして、その許認可権はお寺が一手に引き受けていたのです。信長が登場する前は、お寺が日本経済を牛耳るという時代が続きました。

◆この強大な武力を持っている宗教団体に信長が一撃を加えて後、秀吉を経て家康に至り、「檀家制度」の確立をもって、ようやく目的(秩序の保全)が達成されることとなったのです。


◆以後、三百年に近い市場社会の経験が、信仰に生きる生活を不要(聖俗分離)にしてくれました。キリスト教やイスラム教などのように、『自分の宗教は正しい。相手の宗教は間違っている』という宗教特有の不寛容さは、日本人にはなくなりました。

これは恐らく世界に先駆けてなくなったと言えるでしょう。
ローマの歴史に詳しい塩野七生氏は『男の肖像』という著書で、織田信長がした日本人にした最大の贈り物はこれだと言っています。

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yos********さん

2019/3/1700:53:29

日本には八百万(やおよろず)の神々が居ると言われていますが、大きく分けると4種類の神に分けることができます。
・神話の神で天皇に関係ある神社で伊勢神宮や出雲大社などがあります。
・死んだ人を神として敬う天満宮や東照宮や靖国神社などがあります。
・中国やインド由来の神で、七福神があります。
・木々や森や湖など日本全国に自然を神として祀る神社や社が数多くあります。
この自然信仰が日本古来の信仰であり、神として敬うということはみんなで大切に守るということでした。みんなで大切に守ることによって、自分たちも自然からの恵みによって守られるという考え方なのだと思います。この考え方が他の神にも受け継がれ、全ての神を大切にすることで人間も守られるという考え方になったのではないでしょうか。どんな神でもそのまま受け入れることで、争わずに皆が平和に暮らすための知恵だったのではないかと考えています。
日本の神道には教義がありません。教義がないということは神が人間に対して何も教え導いていないと言うことです。有るのは祭りや結婚式やお祓いなどの儀式だけです。宗教には必ず教義や経典があり、人間に対して何らかの指針を示していることが必要です。教義がなく儀式だけが有るということは宗教ではなく日本の伝統文化だと考えた方が良いのではないかと思っています。宗教ではなく日本の文化であったからこそ、どんな神様も受け入れることができたのではないでしょうか。天照大神の子孫であるといわれている天皇(欽明天皇)が仏教を受け入れていますし。奈良の大仏は聖武天皇によって建立されています。
キリスト教やイスラム教のような一神教の神が人間に対して絶対的な支配者であり、人間に服従を求めるのに対して、日本の神は人間に対して服従を求めたり指示を出したりしていません。神社には死んだ人の怨念や呪いや自然の脅威を鎮めたり、封じ込めるために設けられたものもありますが、神になれば人間にない力を持つようになり、私たち人間を守り、願いを叶えてくれる力を持つようになると信じている人もいるようですが、日本人にとって神とは人間を超えた尊敬の対象なのだと思います。日本人は仕事や趣味であっても、だれにも真似のできない技を極めた人を神と呼ぶことがあります。また尊敬に値する人が亡くなった後に神として祀るのも、日本人が神を尊敬の対象であると考えている証ではないでしょうか。
仏教も仏とは悟りを開いた「人」と言う意味なので、絶対的支配者ではなく尊敬の対象なのです。仏様も釈迦如来や阿弥陀如来、薬師如来、大日如来など複数の仏様がいます。日本人は複数の神社やお寺を行き来していることに対して、疑問を抱いている人が居るようですが、尊敬する人を一人に絞る必要がないように、尊敬する神や仏を一つに限定する必要はないはずです。従って神社とお寺の両方に参拝に行ってもなんの問題もないはずです。

car********さん

2019/3/1607:37:19

元々の日本人は八百万の神を信仰していました。何でも神様宿ってる!あっちも!こっちも!
つまり色んな神様を同時に信仰することに対し元々抵抗が無いので、ついでに1つ増えたなーぐらいで受け入れていると思います。

man********さん

2019/3/1601:42:34

他国では自国の宗教以外の宗教を行うと国の秩序がみだれるのですか。(宗教で国をまとめている国家はそうなるのかな…)
日本は島国で、人がどんな宗教を信じようが国の伝統はほとんど揺らぎませんし、国が崩壊する心配もほとんどなかったのかと思います。安定感があったから余裕を持ち他宗教も認められるというより、大きな問題さえ起こらなければ気にならなかったのだと思います。他国で宗教が国をまとめる機能を持つのだとしたら、日本では、それはもう文化に溶け込んでいる見えないものです。神様を信じるというより、日常に溶け込んでいて慣れ親しんでいます。だから無宗教という自覚を持ちます。そして、それをどの国にも伝えようとはしない。(海外に行って寺を建てまくったり布教なんてしない)もはや宗教とはなんなのか?そこから考え方が違います。
宗教〈 文化 歴史 それが日本人の生き方です。キリスト教のイベントも文化として受け入れみな楽しんでいます。生き方に溶け込ませて、日本人としてそれをただ楽しむ。日本にとって、宗教とは秩序を補うための役割でなく、そこまで重たいものではないということです。なぜなら、そもそもどこの宗教の神が正しいとか関心は薄いですし、人のことを思いやろうなどの教えを守ろうとしなくても、それは言われなくてもあたりまえだという価値観があります。宗教の神が救ってくれるという都合のいい解釈も馴染みにくく、自分の責任は自分でカタをつける。この価値観は日本人が長らく他国から得た教えで、人格を高める(清く明るく真心を持て)という教えに基づきます。宗教ではなく教えです。
自分を鍛え、自らで反省し、日々精進する精神。他人任せや他人に甘える精神ではありません。宗教ではなく、志、文化です。だから宗教は必要とされないのです。
(※私個人の考えです)

tos********さん

2019/3/1117:53:10

オウム真理教や創価学会など世間を騒がせる邪教のせいかと思います。
しかし、宗教を嫌う日本人に限って盛んに神社参拝やクリスマスを祝ったりしているのを見るにつけ、これも立派な信仰だと感じる次第です。

sho********さん

2019/3/1113:00:59

日本人にとって、宗教は祭りですから、宗教に関心を持つ方がオカシイのです。

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