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豊臣秀吉や徳川家康が鍋島直茂の主家簒奪にお墨付きを与えたのはなぜでしょうか?

tdj********さん

2019/3/1321:00:46

豊臣秀吉や徳川家康が鍋島直茂の主家簒奪にお墨付きを与えたのはなぜでしょうか?

直茂が龍造寺一門や龍造寺家臣団から人望があったとしても主家簒奪を認めるのは、天下泰平を求める秀吉や家康にとって都合が悪いのでは?
龍造寺隆信の後継者である龍造寺政家・高房親子に大名としての能力があったとは思えませんが問題が起これば、それを理由に改易すればいいはず。
主家簒奪を許してまで、龍造寺家というか後の佐賀藩の安泰を謀ったのはなぜでしょうか?

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jun********さん

2019/3/1400:45:35

来たるべき、朝鮮出兵において、肥前佐賀の地は、
大変重要な拠点だったという点が大きいからでしょう。

出陣基地となった、名護屋港を近くに控え、佐賀が安定していないと、
安心して朝鮮半島に兵を送れません。
だから、鍋島直茂を引き立てる事で恩を売り、協力をさせたのでしょう。
直茂も、この期待に応えて、朝鮮に出陣した際は、
大いに活躍をしています。

似たようなケースでは、立花宗茂も同様かと思います。
鍋島直茂のように、主家をそっくり引き継ぐという事では無いですが、
本来、大友家家臣でありながら、独立大名として大友家から、
引き離し、主家の大友家改易後も、立花家は無傷で、
豊臣政権下で、重きを成しています。

  • 質問者

    tdj********さん

    2019/3/1402:34:09

    鍋島直茂や立花宗茂もそうですが、上杉家の直江兼続、毛利家の小早川隆景・安国寺恵瓊も大名家に仕えながら、秀吉のお気に入りでしたね。秀吉は陪臣を直臣並みに扱う事が多いですね。官職を与えたり、所領の事で介入したり。特定の陪臣に肩入れする事で、その大名家が親豊臣派になるように工作させたり、あるいは家中に不和を生じさせて、結束を乱すなど意味もあったのでしょうね。

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2019/3/17 08:34:05

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img********さん

2019/3/1410:55:15

家康の場合は、関ケ原で直茂・勝茂とやり取りしていたからだと思われます

家康が朱子学を全面に出した事は実はありません

藤原惺窩や林羅山は、家康面前で講義した事もありません

話が逸れました

関ケ原後、西軍として戦った武将達の取成しに関しては、擁護する人物の選定も大事だったようです

直茂・勝茂は、家康が呼び寄せて直接講義を聞いた足利学校・ 閑室元佶との縁があったからです(+本多正信)

閑室元佶は、家康・秀忠が直接講義を受ける程で家康のブレーンの一人です(秀忠の養育係も兼ねています)

庄内の乱時には、島津家老伊集院からの直接の取成しを家康は拒否しているので、領主の器量(能力)も重要視されていたと思われます

長宗我部盛親は、関ヶ原時に家臣団に見放されており(直接家康へ書状を送っている)長宗我部家の改易にはこのことも含まれています

家臣団が割れずに家中が収まる事(お家騒動を起こさない)も重要視されていたようなので、主家簒奪というよりも龍造寺政家・高房がダメ領主の烙印を押されたのだと思います

質問者さんの言葉を借りれば、「天下泰平を求めたからこそ、佐賀藩の安泰を計った」のではないでしょうか

usai21さん

2019/3/1408:49:26

豊臣秀吉は特に各大名のNo.2を引き抜くことに熱心でしたからね。

徳川家の石川数正、上杉家の直江兼続、毛利家の小早川隆景、島津家の伊集院忠棟、他にも織田家(信雄家)の三家老など挙げ始めれば枚挙にいとまがありません。

No.2を半ば強引に取り立て半独立、あるいは豊臣家との両属させていました。

鍋島直茂も同様のケースですね。
大名家家中の意思決定者のカウンターパートを親豊臣にしておくだけでも利点はありますし、大名がNo.2と揉めて出奔したとしても勢力を減らしたり内情を得たりと利点は大いにあります。

豊臣秀吉はそのように各大名家のNo.2を利用していました。

一方で徳川家康はというところですが、朱子学を全面に出して君臣の関係を固く守らせようとした徳川家康ですが、彼の天下が固まりだす頃にはすでに龍造寺家と鍋島直茂の関係は既成事実化していました。

そもそも鍋島直茂は龍造寺家の縁戚でもあり、名跡を継いでいる、あるいは名跡を預かっているという状況は取り立てて非合法とも言えないので無理に現状を弄れなかった部分があると思います。

さらに、龍造寺家の庶流の一門衆は鍋島直茂を支持しており、正統性もそれなりにありました。

なおのこと、既成事実化した君臣関係を強引に元に戻そうとすれば、豊臣家と徳川家の関係はどうなるんだと脛の傷をさわられることになりますので、この面からも強く言うことは出来なかったのではないでしょうか。

tam********さん

2019/3/1400:24:25

まず直茂は龍造寺家の中では別格の存在でした。龍造寺隆信の生母・慶誾尼が直茂の父に嫁いだため、隆信と直茂は兄弟格₍義弟₎の関係として固い信頼関係がありました。また武将としても有能で、対大友戦や北九州の平定戦では圧倒的功績を残し、隆信が政家に家督を譲った際には直茂を後見人に指名しています。

ただ、関係が深いために諫言を繰り返して隆信から次第に遠ざけられます。そして、疎遠になったタイミングで沖田畷で隆信が戦死し、龍造寺家は崩壊の危機を迎えます。この危機を救ったのも直茂で、島津に硬軟織り交ぜた交渉を行って結果的に龍造寺家の危機を救います。更に島津家に従いながら、秀吉とも通じて九州成敗の際には真っ先に先導役を買って出ています。秀吉はこの働きを高く評価し、豊臣性を与えると共に龍造寺家の家政も担うように命じます。この動乱期を無為に過ごした政家に人望はなく、直茂に人望が集中していくことになります。1591年に政家が病で隠居するとき、直茂を養子として実質的に龍造寺家の家人として迎えています。後継者の高房はこの時5歳で、直茂が動かさなければ家が生き残れなかったのは外から見ても、家臣団から見ても明白だったんでしょうね。秀吉の了承の元に龍造寺家の実権を掌握していきますが、直茂はこの時点で龍造寺家を主家とする立場は変えていません。

豊臣に従い所領安堵した直茂ですが、天下を見るに機敏な直茂は関ケ原時点であっさりと豊臣を見限り、清正と共に東軍として九州戦線をリードし、家康から所領を安堵されています。家康もこの功績を認めて所領安堵しており、島津や清正の押さえにもなるとの判断もあったのだと思います。家康にとって直茂は九州の使える駒になっており、手放せない存在になっていました。

一方、主家の政家と高房は幕府などに龍造寺家に実権を戻すよう働きかけをしましたが、高房が気を病んで刃傷沙汰に及んだ末に自害し、政家もほぼ同時に亡くなり主家筋が途絶えます。既にこの時期には同じ龍造寺家の庶流も直茂を支持するようになっており、幕府が龍造寺一門に事情聴取した際には、鍋島家こそが佐賀藩を継ぐのにふさわしいとして禅譲が内部的にも外部的にも認められます。結局、直茂は強引に主家を奪ったわけではなく、直茂以外に任せられない状況下で任せられてきたというのが実情でした。もちろん、実権を集中させるなどしてきた事は事実ですが、直茂自身は龍造寺家の当主には最後までなりませんでした。

秀吉にも家康にも九州で使える大切な駒であり続け、家臣団からも支持され、事実上の主家筋にまでなっていた直茂を除くなど誰の得にもならなかったんだと思います。戦国時代はその辺はシビアに判断されていたんでしょうね。

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kaw********さん

2019/3/1323:35:19

呼び名が違うだけで龍造寺も鍋島も全く同じ家なのに、実力も人望もない人物を実質当主であるものに替えるわけにはいきません。

まりえさん

2019/3/1322:33:49

龍造寺隆信が天正十二年(1548)、島原で島津の軍勢と戦い敗死してからは、重臣の鍋島直茂の手腕で龍造寺家は滅亡の危機を脱しましたが、隆信の子である政家は病弱であるがゆえ、国政の任に耐えずとして秀吉の命で隠居し、その子高房が龍造寺家の家督を継ぎましたが、秀吉は、鍋島直茂のかつての手腕を高く評価し、事実上の佐賀領主として文禄と慶長の役にも参陣させ、直茂は朝鮮に渡り軍勢を指揮しました。江戸幕府も秀吉同様、直茂の政治的手腕を高く評価し、事実上の佐賀領主として遇しました。慶長十二年(1607)、政家と22歳の高房が相次いで死去。鍋島家は名実と共に龍造寺家にとって代わりました。高房は佐賀領の宗主権が戻らないことに絶望しての自殺とも言われ、脚色創作された「鍋島化け猫騒動」の背景となりました。

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