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【ヨハネ関連】 1.太初にことばあり ことばは神と偕にあり ことばは神なりき ...

aim********さん

2019/3/2311:48:43

【ヨハネ関連】

1.太初にことばあり ことばは神と偕にあり ことばは神なりき

質問:この”ことば”、そして”神”の以前には在るということがなかったと読み取れます。

在るという事がないとはどういうことなのでしょう?
ないという事について教えてください。

2.萬の物このことばに由りて成り,成りたる物一つとして之に由らざるはなし

質問:そうであるならば、神の発したことばで万物はできている。
万物は神のことばである。神の当為の理念、意志である。
という事になりますか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

chi********さん

2019/3/2316:12:45

R. ブルトマンはその導入文を「旧約外典の『シラ書』と並行関係にある」と指摘した。

ブルトマン自身はそこから「ヨハネ福音書はグノーシス文書だ」と言いたかったのだけど、現在では逆に、ヨハネ福音書とシラ書がユダヤ思想の「知恵と預言」の伝統に連なる、ということが確認されている。

ヨハネ福音書の根底にあるのは、旧約聖書の預言者文書や、知恵文学の伝統。そして知恵文学の中でも、『箴言』は「知恵」が天地創造に先立って創られ、神とともに創造を見たと語る。

ということは、「知恵と預言」というのは創造の根源にあるものだ……てのが初期ユダヤ教のポイントの 1 つだっただ。それを踏まえて見ると、ヨハネ福音書の冒頭は、明らかに創世記の冒頭を意識している。

「はじめに」天地を創造した神は、すべてを創造するにあたり「光あれ」と言葉を発した。創造のはじめから、言葉は神と共にあった。

「言葉」すなわち預言と知恵とをめぐる初期ユダヤ教の議論は、『シラ書』においてシェキナ(臨在)とトーラー(律法)をめぐる議論に発展する。つまり、

――知恵は自らを褒め称え、その民の中で誇らしげに歌う。……「わたしはいと高き方の口から出て、霧のように大地を覆った。……わたしを造られた方は、わたしが憩う幕屋を建てて、仰せになった。『ヤコブの中に幕屋を置き、お前はイスラエルで遺産を受けよ』。この世が始まる前にわたしは造られた。わたしは永遠に存続する」。これらすべてはいと高き神の契約の書、モーセが守るよう命じた律法であり、ヤコブの諸会堂が受け継いだものである……。(シラ書 24 章抜粋)

「神の言葉」が律法として受肉し、その律法の中に永遠の神の臨在がある、というわけだ。面白いことに、あるアラム語の写本では、神の名がすべて「主」、ではなく「神の言葉」に置き換えられている。「神」と「神の言葉」は交換可能と考えられていた証拠だ。

で、シラ書における律法をイエスに置き換え、「神の言葉がイエスとして受肉し、そのイエスの中に永遠の神の臨在がある」とやれば、あら不思議、ヨハネ福音書のロゴス讃歌になるわけだ。だから、ヨハネ福音書の著者はシラ書、ないしはシラ書に見られる神学を受容したセクトにいただろう。それはグノーシス的どころか、相当なまでのユダヤ主義だ。


で、当為の理念、意志だっけ。そりゃアリストテレスだね。イスラーム神学を見た方が早い。

  • 質問者

    aim********さん

    2019/3/2409:23:03

    ありがとうございました。
    聖典というのは信仰で読むと、信仰によって内容化されるので、独断的判断ともなります。
    私もそんな解釈で内容化しています。
    ”太”なる敬称をつけようが、ともかく初め。初めがあるものは終わりがある。無限根源である神、そのことばという理念や観念は当為であり、はじめも終わりもない。此処の初めは、根元、根源。基盤という意味なんでしょう。神やそのvibration理念にはその前もその後もない。萬はこれにより成りたる顕現なのだ。と理解しています。

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質問した人からのコメント

2019/3/24 09:25:37

みなさま、ありがとうございました。
単なる信仰精進者は、神学や理智学問でのアクセスは不得意です。
勉強になりました。

ベストアンサー以外の回答

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twe********さん

2019/3/2321:36:04

聖書の言葉を聖書の文脈や時代背景からはなれて解釈しても意味ない(・o・)

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chi********さん

2019/3/2317:54:31

質問1

何を言っているのかよく分かりません。聖書はカント哲学とかじゃありません。

質問2

何を言っているのかよく分かりません。聖書はヘーゲル哲学とかじゃありません。

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syu********さん

2019/3/2313:42:25

存在と無、宗教は在るというところから始まっていますから、在ることがないということを考えるのは神學の外です。
0から霊(意思=日意=1=☉=ビッグバン,大いなる番=エロス、左右統、穴に矢=口に工作する、殻田に実魂を満たす=古→田=卍卐)が産まれた。
空無の無は空(ウルエ、売る絵=設計図)に神抜きが掛けられた状態ですから0ではないです。

無=色欲に神の設計図が阻まれている状態=マ(真=火)×ム(無=水)、マム=母は菊=クリ―サンゼマム、迷いと謎の苦里意酸女(衒)の中で育てる

宇宙=ユニバース、湯(火+水=陽陰のカミ合い)の中で誕生する。

在=一ノI土、マイナスの法が立ち土となる、土を育てることが子(負の下でプラスに向かう)で、士(サムライ=作務羅意に生きる,侍=イ意をを照らす=泥を落として尻を軽くする(666→999),未超しを担ぐ=三腰(頭首腹の三位)にI,愛、天意を迎えて丰となる、神の礼拝して生きることが人間として存在しているということになります。

天国の鍵、漢字,地理、歴史,高麗犬、一切神の声、最後の学問「秀思學」のすすめ

存在と無、宗教は在るというところから始まっていますから、在ることがないということを考えるのは神學の外です。...

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