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法治主義や法律遵守に、科学や哲学や宗教などの、裏付けは? 法律を守る理由は?

雨女黒傘さん

2019/3/2314:14:49

法治主義や法律遵守に、科学や哲学や宗教などの、裏付けは? 法律を守る理由は?

ソフィスト,ピュシス,プロタゴラス,宗教,アテナイ,ノモス,法律

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uus********さん

2019/3/2423:19:43

法律に、科学の裏付けがあるワケがない。
権力の恣意。
法律遵守は、阿諛追従しているだけ、権力に。

哲学や宗教もそう。
権力におべっかを使う奴は、法律を正当化する。

法律を守るのは、権力に屈したから。
あほ。

  • 質問者

    雨女黒傘さん

    2019/3/2716:51:20

    そりゃそうでしょう、法律なんか矛盾だらけ。
    全然科学的でない。

    守る理由なんか、力関係で決まります。
    破っても問題なければ、
    昔の食管法みたいに、だれも守りません。
    米穀通帳でおコメの配給ってやつ。
    みんな法律違反でした。
    法律なんか、嘘八百。

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質問した人からのコメント

2019/3/30 11:39:28

どうでもいいような、ベストアンサー選定で、ごめん。
もうすぐ時間切れになるので、あわてて選びました。
ベストアンサーとか、知恵コインとか、
そんなのは、どうでもいいんですけれど、わたしは。
ありがとうございました。

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qqq********さん

編集あり2019/3/2805:35:15

法哲学法理学、科学思考史のテーマ
悪法問題、悪法が生じる問題
本来
法がだだしくあらねばならないのにだだしくないのはなぜか
を解明すること。
一般意思つまり普遍的意思、真理理想すなわち当為の真理真にあるべき姿
と全体意思の乖離ひらきが発生
多数決必ずしも真ならず問題ナチスヒトラー全権委任法緊急事態条項、明軍化等の憲法改悪問題

ヘーゲル用語辞典
128ページ具体的普遍
スーパーのビルトゥンク教養人格陶冶きびしい勉強学習をして弁証法、最高の価値を概念の判断と選言推理で獲得する思考力対処すれば多数決は真

ロックの民主主義、資本主義剰余価値搾取サギもどき茶番克服

ソクラテス死の克服
プラトンイデア論哲人政治
アリステトテレス思惟の思惟
ルソー知性立法者一般意思
ヘーゲル絶対知、一元論
絶対的真理、当為の真理に到達する為の方法思考形式を探求するもの
http://takamuratetugaku.org/012/012_05_text.html


古代ギリシア文化の中心地となったのはアテナイでした。アテナイにおける哲学は、紀元前五世紀後半において隆盛となります。それはこれまで世界の根源を自然のうちに求めようとする自然哲学にかわって、世界の根源は人間にあるとする人間哲学を特徴とするものでした。
世界は大きく自然と人間に分けられ、人間こそが世界の根源をなすと考えたのです。そこからノモス(人為、人工物)とピュシス(自然物)という対立するカテゴリーが生まれてきます。ノモスとは、法律や習俗などの人間の力でつくり出されたものを意味し、ピュシスとは、人為によっては動かされない自然必然的なものを意味しています。ここには、まだ未分化ながら、世界全体を大きく二分してとらえようとする見地がみられ、その後の哲学の歴史をつうじて次のような対立するカテゴリーを生みだすことにつながっていくことになります。
一つは、「精神と自然」「思考と存在」のカテゴリーです。近代哲学において、世界を大きく精神と自然、思考と存在というカテゴリーでとらえる二元論が確立します。そのうえで、どちらがより根源的なものであるかという「哲学全体のこの最高の問題」(『フォイエルバッハ論』全集㉑二七九ページ)が提起され、「この問いにどう答えたかに応じて、哲学者たちは二つの大きな陣営に分裂」(同)し、「自然に対する精神の根源性を主張」(同)した人々は「観念論の陣営」(同)をつくり、他方「自然を根源的なものと見なした他の人々」(同)は、唯物論の陣営を構成することになったのです。
二つは、「当為と存在」のカテゴリーです。ノモスというカテゴリーは、人間の本質を「為すこと」にあるととらえ、「在ること」にとどまるピュシスに対立させたのです。ここから、後に当為(まさになすべきこと、まさにあるべきこと)と存在(在ること、在らざるをえないこと)という対立するカテゴリーが生まれてくることになります。当為のカテゴリーは、まさにかくあることに価値があるとすることにつながりますので、当為と存在の対立するカテゴリーは、「価値と事実」のカテゴリーと重ねあわせて用いられます。
三つには、「偶然と必然」のカテゴリーです。人間の「為すこと」は、為す人の主観性によって異なるところから、いわば人さまざまであって、人為には偶然性が支配するのみにすぎないのに対し、自然は自然の法則という必然性によって貫かれているとの考えが生まれます。すなわちノモスは偶然であって、そこでは真理といわれるものも単に相対的なものにすぎないのに対し、ピュシスにおいては自然必然性という絶対的真理が存在すると考えたのです。そこからノモスとピュシスは、偶然と必然のカテゴリーを媒介して、「真理の相対性と絶対性」の問題にまで発展してくることになります。
このように、アテナイ期の哲学が提起したノモスとピュシスのカテゴリーは、その後の哲学史の方向を決定づけるような重要な意義をもっていたのです。「ギリシア哲学の多様な諸形態のなかには後代のほとんどすべての見方が胚種の形で、発生しかけた姿で見いだされる」(『自然の弁証法』全集⑳三六四ページ)とのエンゲルスの指摘は、ノモスとピュシスのカテゴリーについても当てはまるということができます。

アテナイ期の哲学

アテナイ期の人間哲学をもたらしたのは、ソフィスト(知者の意)たちと、それに続くソクラテス、プラトン、アリストテレスでした。人間哲学を生みだす契機となったのは、ポリスにおける独特の直接民主主義の政治体制でした。ポリスの重要な政治は、アゴラとよばれる中央広場で開かれる民会で決せられ、数百数千の市民の前でポリスの諸政策を提案し市民の支持をうるには、弁論の心得が必要でした。また当時の裁判は一種の民衆裁判であり、弁論の能力だけが自分の生命や財産を守る唯一の手段でした。
ポリスの民主主義のもとでは、家柄や財産は政治的特権を保障するものではなくなり、すべての人間が市民としての資格だけで平等に政治参加の権利をもっていたのですから、頭角をあらわし、立身出世するには弁論に秀でることが不可欠の要件とされました。
そこから、授業料をとって青年たちに国家、社会のための弁論術を教える「ソフィスト」たちが登場することになります。今日では「ソフィスト的論法と言えば、正しいものや真実なものをねじまげて、一般に事物を誤った光のうちに表現するのを目的とする考察法にすぎない」(『小論理学』下四〇ページ)と考えられています。なぜそのような悪評を招くことになったのかといえば、彼らが権威や伝統に挑戦するために、さまざまの理由を考え出す「理由づけの立場」(同)にたっていたからです。
しかし理由というものは、まだ絶対的に規定された内容をもたないので、「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」という諺にも示されているように、どんな理由でも見つけだすことができるのです。ヘーゲルは、「今日のような反省と理由づけにみちた時代には、あらゆるもの、最も悪く最も不合理なものにたいしてさえ、何かしかるべき理由を持ち出すことのできないような者は成功はおぼつかない」(同四一~四二ページ)と皮肉たっぷりに述べています。したがってどの理由をとりあげるかは、「各人の個人的な心術および意図の問題」(同四一ページ)となり、この理由の否定的な側面によってソフィストは「詭弁家」とされてしまったのです。
こういうソフィストたちとの論争をつうじて彼らの「理由づけの立場」を乗り越え、人間がより善く生きるための絶対的に規定された真理を探究しようとしたのがほかならぬソクラテスでした。ソクラテスの議論は「単なる理由というものの無定見を弁証法的に指摘し、それにたいして正義や善、一般に普遍的なものあるいは意志の概念を主張することによって、かれら(ソフィストたち)と論争した」(同四一ページ)のです。
ヘーゲルのいう「意志の概念」とは「意志の真にあるべき姿」、「いかに生きるべきかの真理」を意味しています。ソクラテスにはじまった、人間としていかに生きるべきかという「当為の真理」は、プラトンの「イデア」論を経て、アリストテレスの「エネルゲイアとしてのイデア」論へと展開し、発展することになります。このイデア論こそ古代哲学の最高の知的遺産ということができます。
それでは以下に「アテナイ期」の人間哲学を順次みていくことにしましょう。

(一)ソフィストたち

ソフィストを代表する人物として、プロタゴラスとゴルギアスとを紹介しておきましょう。二人ともソクラテスの論争相手として、『プラトン全集』にその名を標題とする著作が収録されています。
プロタゴラス(BC四八一~四一一年頃)はソフィストの筆頭格の名士であり、その名声は死後においても少しも消えることがなかったといわれています。彼の命題として最も有名なのは「あらゆるものについて尺度は人間である。存在するものについては、それが存在するということ、存在しないものについては、それが存在しないということ」(『哲学史』中の一、三四ページ)というものです。人間を万物の尺度ととらえることによって、人間を基準として人間と自然、思考と存在との関係にはじめて光をあてることになりました。つまり人間は自然をあますところなく認識し、真理に到達することができるのかという認識論を哲学史上はじめて俎上にのせることになったのです。
ではプロタゴラス自身は真理の認識についてどう考えていたかというと、彼は「風がふく場合、冷える者もあれば、冷えない者もある。だからわれわれはこの風のことを、それ自体つめたいともつめたくないとも言うことはできない」(同三六~三七ページ)として真理の認識に懐疑的な態度をとりました。
ゴルギアス(BC四八三~三七五頃)は、弁論術に秀でていたのみならず、奴隷制下の民主主義の擁護者として、貴族政治のイデオローグであったソクラテスに対抗し、世間からも高い尊敬と広い名声を与えられていました。プロタゴラスの懐疑論は「ゴルギアスを通じてずっと深いところに達し」(同四一ページ)ました。
彼は「何ものも存在しないことを証明し、……たとい存在があると仮定しても、それは認識されえないこと、……たといそれが存在していて認識しうるものであったにしても、認識したものを伝えることは不可能であることを証明」(同四三ページ)しようとしたのです。まだ自然にかんする認識が極めてかぎられたものにすぎなかった古代社会において、認識論がまず懐疑論から始まったことは、ある意味で当然だったのかもしれません。長い哲学の歴史をつうじて、人間は無限に絶対的真理に接近しうるとする唯物論的真理観が確立されていくことになるのです。

とのことです。

tet********さん

2019/3/2711:58:47

そうですよねえ。
先ずは、政治家や官僚などの人間が守ってほしいですよねえ。

困ったものです。

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com********さん

2019/3/2711:30:03

集団社会の中で約束・ルールは守るという道徳心でしょうね。
「それじゃあ明日7時にね」と約束したら、あなたは7時までにその場所に行こうとしますよね。

それに科学、哲学、宗教の裏付けはないと思います。

ヒト種が集団社会を構築するのはDNAに依存する事でしょうから、それが科学的根拠という事かもしれません。しかし何故そうなるのかDNAとの関係が判っていないでしょうから根拠とは言えないかも。

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ale********さん

2019/3/2520:08:20

自然科学の知る自然の規則性と違い、
法律を作ったり守ったりする必然性は、法治主義にありません。

宗教や哲学が、法律を正当化して、民衆に強要するのは、
権力欲にすぎません。

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twe********さん

2019/3/2321:27:56

>科学や哲学や宗教などの、裏付けは?

哲学と宗教は不要

>法律を守る理由は?

まもるほーが楽だから(・o・)

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