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継体帝は万世一体では無い、という意見もありますが、 それ以前の顕宗帝、仁賢帝...

cr_********さん

2019/4/1918:11:18

継体帝は万世一体では無い、という意見もありますが、
それ以前の顕宗帝、仁賢帝もどこの馬の骨とも分からない人物では?

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z_x********さん

2019/4/1918:16:58

継体天皇は応神天皇の五世孫。しかも途中の系図もよくわからなくて怪しさ満点。

顕宗帝、仁賢帝の時代は雄略天皇が大悪天皇として粛清を行ってたことからもわかるように、皇統に乱れがあった時代。ただしこの場合は有力勢力が天皇の男系親戚筋を担ぎ上げて権力闘争していたような様子。だから血筋的には大丈夫のような気がする。

それよりもどう見ても不倫の子の応神天皇とか、明らかに征服王朝の崇神天皇でしょ。

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ail********さん

2019/4/2017:45:57

その可能性は高いです。
継体が新王朝と言われる理由は、日本書紀自体に書かれているからです。
①継体・武烈と言う後付名。
②継体より血の濃い継承者が20人以上確認できる事。
③武烈の姉と結婚して、その子二人が天皇継いでいる事。
④女系継承と男系継承が二重に書かれている事。
当時は寧ろ女系継承が強く古事記や源氏物語では天皇が夜這してます。
中国語で書かれた日本書紀では中国の男系継承を良しとする考えが導入されたと思われます。

dok********さん

2019/4/2008:01:10

古代、話題としている時代では、男の血よりも女の血の方が重要だったようです。
継体帝は仁賢天皇の皇女である手白香皇女と婚姻して正統性を主張していますし、推古天皇の時代、その推古天皇を異母弟の穴穂部皇子が奪い合うような状況が現れます。
このなぜが重要なのでしょう。なぜ、喪の最中に穴穂部皇子は付き人たちがいる中で推古天皇を強姦してでも自分の女だと宣言する必要があったかです。その時の皇位継承ではそれが必要だったのでしょう。
ある種、古代では大王の地位は倭地域での祭祀を行う正統の巫女の取り合いによるものだったのではないでしょうか。

当然、これは明治以降の論者には都合が悪い話です。

pin********さん

2019/4/2007:23:47

「継体」も、「顕宗、仁賢の父である、市辺押磐皇子」も「倭の五王(讃、珍、、済、興、武)」の血統を継続している、「百済王族」です。
「彼等を、百済王族だから、どこの馬の骨かもわからない人物」にするかどうかの問題ですね!

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