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六四天安门を日本の方はもしかして誤解していますか? あの事件は中央政府の大失...

jap********さん

2019/4/2400:19:07

六四天安门を日本の方はもしかして誤解していますか?
あの事件は中央政府の大失態です。
当時の中国では分配制度と配給制度がありました。
その頃の学生は、「医者になりたいから医学部行こ

う」と考え学部を卒業しても、政府が学生の就職先を決めていて、医学部卒業したのに田舎の職種ちがい国営企業に配属されたりしていました。

次第に、学生は不満を募らせていきます。
その不満がついに爆発して各地でデモがはじまりました。
そのデモは拡大を続けて過激学生も現れ始めました。
その過激派学生集団が各地で人民警官の無差別殺害もはじめるようになり、5月19日に趙紫陽は当時の中央弁公庁主任を務めていた温家宝さんを連れて、デモを拡大させる学生を見舞う中で涙を見せ、「諸君はまだ若いのだから命を粗末にしてはいけない」と、学生たちにデモの中止を促しました。

しかし、勢力は拡大して数々の警官が無くなるなかで軍が治安出動する騒ぎになりました。
軍が北京の市街地に集結した口コミは一気に全土に広がり学生集団、過激学生集団は北京に集結をはじめます。
そして、軍は人民に武力を使ってはいけないという命令のもと戦車の前に飛び出してきた学生に苦戦します。
このままでは進行できず待機していたところ、火炎瓶を持った過激学生集団が次々に戦車のなかに火炎瓶を投げ込みはじめます。
ひきづりだされた軍人が暴行、殺害されはじめます。

遂に、趙紫陽は有名な話、「決定を下さないよりは下した方が良いけれども、今回の決定が招くであろう深刻な事態を大変憂慮している。総書記として、この決定内容を推進し、効果的に実行することは私には難しい。しかし、もはや武力をもって解決を図るべき国家非常事態だ。」と言います。
そして、6月4日に軍ははじめて学生に警告を出します。
「これは中華人民共和国政府による通告である。わが官軍の命に背き抵抗するものは拘束または射殺する」
しかし、学生は無視を続けます。
それは、まさか自国民に対して軍が発砲してくるわけないからです。
その後も、遅くまで繰り返し軍は警告を続けました。
そんななか、過激派学生を先頭に軍が設けたバリケードを力で突破をはじめました。
そして、軍人さんに一人の学生が刃物で刺したときです。
いきなり、軍が発砲をはじめます。
戦車も破壊されたバリケードの前へ前進をはじめました。
こうして、中央政府は学生を犠牲にしてしまいました。

この中央政府の残忍な結果に、趙紫陽は総書記ほか全役職を解任されました。
江沢民さんが総書記・最高指導者に抜擢されましたが中国は西側諸国から経済制裁を受けました。
そして、学生が求めていた配給制度と分配制度は廃止されました。
こうして、職業選択の自由を手に入れた学生が今日の中国の学力競争を生み出しました。
そして、中国人人民警官は拳銃携帯を長らく禁止され今でも人民警官が拳銃を携帯することに賛否両論で、数年前に一部携帯が認められるようになったのです。
しかし、現代英国みたいに警官が拳銃を携帯してはならないルール化を徹底するべきの世論が高いです。

だから、中央政府は64を微博や百度で語る人がいたら直ぐに削除しています。
しかし、人民はみんな知っています。
私も香港の64記念館、中央非公認の当時の人たちの書籍、初中時代の先生、高中時代の政治の先生、親類、塾の当時中国にいた外国人の先生、外国のサイトなどから上記の事実を知っています。
皆言います。
どんな事態でも軍や警官が人民に発砲してはいけない。
また、現代中国はまだ遅れていて死刑制度もあります。
どんな凶悪犯であっても国家が人民の命を奪ってはいけない。これが私たち現代学生の思いです。

この事件を日本の方は私たち中国人が知らないと言う人いますが本当にそう思っているのですか?
私たちは、外国の方より知っているつもりでいて、外国の方に聞かれたら教えられるつもりでみんな考えています。。。

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2

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ベストアンサーに選ばれた回答

jta********さん

2019/4/2400:46:10

当時の日本では西側と東側の対立が激しく、プロパガンダも含み伝わってきました。
この事件より前にアメリカでは、街中にいる共産主義者を無差別に護送車に詰めこみ処刑していたのです。
これはNHKでも特集されました。
ある日突然、警察がやってきてでっち上げの罪で共産主義者を拘束するのです。
この時代、この事件は格好のネタにされアメリカ筆頭に経済制裁をはじめ共産主義国の封じ込めにかかったのです。
当時の日本はアメリカの意向には逆らえず、この事件の一部分のみを報じ、それを基に書籍が作られたり評論家が情報を拡散していったのです。
だから、自分も香港で購入した幾つかの規制品書籍の生の声と、日本で浸透している情報や法輪功関係者などが唱えている主張と著しく異なる内容に驚いたことはあります。
しかし、ネットも普及していなかった時代です。
メディアやそれに基づいた書籍以外の情報が、このように公の掲示板で語られることもありませんでした。
そのため、今では当時蓄積された情報のみが既成事実として日本では認識されています。
まさか、あなたみたいな中国の学生さんと縁もない日本人がこのようにやりとりできる時代が来るなんて想像もしていない時代の出来事ですから。

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質問した人からのコメント

2019/4/24 21:16:56

とても詳しいお話をしていただき勉強になりました。
丁寧にありがとうございました。

もう一人の回答者様、大変ありがとうございました。
とても勉強になるお話に感謝しています。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

mtd********さん

2019/4/2413:31:37

実は昔の日本でも学生運動に混じった過激な学生集団が浅間山荘事件と言う事件を起こしたことがあります。
銃砲店を襲撃したり警察官を殺害したり仲間でさえ総括と称して殺害していました。
この連合赤軍に対して当初は多くの学生が国家に立ち向かう英雄視をしていたのです。
そんな状況下で彼らが起こした浅間山荘事件で警官隊は苦戦を強いられます。

その事件で指揮を取っていた人物が後に書籍を出版していますが、こう記されています。
「過酷を極める状況のなか2人の警察官が殉職をした。
この時点で上層部は学生に対する武器使用を議論しはじめる。それまで、拳銃使用を絶対に禁止と命じられていた現場では隊長を目の前で殺された部下たちによる理性を失った言動や行動がみられるようになる。この状況で発砲許可が下れば悲惨な事態が想像できた。それを上層部に進言したところ、あと3日以内に警察力で解決に至らなければ自衛隊に対する治安出動が決定している。これは政府中枢の決定であり、政府中枢はすでに武器使用やむなしと判断している。なんとしても警察力で解決を図るため武器使用を拒むのなら代替案を数時間以内にだせ・・・」
これによって、急遽苦肉の策として民間の職人に協力してもらいダメもとで建物を破壊しはじめたのです。
もし、このダメもとでの作戦が功を奏していなければ天安門事件と同じ展開になっていたのです。
唯一の違いは、過激学生の数が違うだけです。
もし、人口規模が多く、もっと数多くの過激派学生が各地で同じことを始めていたら確実に天安門事件と同じになっていたはずです。

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