ここから本文です

日蓮正宗が最も大事とする戒壇の御本尊様、『大石寺十五世日昌法主の時代に、京都...

crs********さん

2019/5/216:31:27

日蓮正宗が最も大事とする戒壇の御本尊様、『大石寺十五世日昌法主の時代に、京都要法寺の僧侶・日陽師(のちの要法寺法主)が登山して本門戒壇板本尊の内拝を受けているが、

日陽師はこれを著書「祖師伝・付録」(日蓮正宗五十九世堀日亨法主編纂の『富士宗学要集』に収録)の中で「日本第一の板御本尊」を拝したと記録に書き留めている。あるいはこれと同時期の保田妙本寺貫首・日我師が大石寺の本門戒壇板本尊のことについて、自らの著書の中で述べている。日興上人、或いは日道上人の三師御伝土代などには戒壇本尊の記述はないとのことです。そんなことはないようです『日興上人御伝草案』に「法華宗二人は、頸を切られおわんぬ。その時、大聖人御感有って、日興上人と御本尊にあそばすのみならず、興の同弟子日秀日弁二人、上人号し給う」とあるのです。これが戒壇の本尊でなかったと誰が言えますか、日蓮正宗は正しいのです。日蓮正宗はこのことをもっとアピールしないのでしょうか

補足何ものにも左右されないということ。”報身如来”とは、宇宙根源の一法を知る智慧の当体の意。即、日蓮大聖人の異名である。戒壇の御本尊を二人であらわしたとなると。久遠元初自受用報身如来が二人になってしまうということが、『大聖人御感有って、日興上人と御本尊にあそばす』を戒壇本尊が公安二年に作られた証拠にできないらしい。

久遠元初”とは久遠五百塵点劫(くおんごひゃくじんてんごう)の当初(そのかみ)をいい、一往、時間的には生命と宇宙の始まりの時を指す。て・いうとまだ人類が存在しないときにアメーバーと共に仏として現れたということ。
そんな確かめようもないことを信じていくんだ、だったら二人でもいいんじゃない。

日蓮正宗,本門戒壇板本尊,日興上人,御本尊,日蓮正宗五十九世堀日亨法主,戒壇本尊,久遠元初

閲覧数:
119
回答数:
3
お礼:
50枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

tou********さん

2019/5/801:45:10

信心の薄すい日蓮正宗一信徒です。

> これが戒壇の本尊でなかったと誰が言えますか、日蓮正宗は正しいのです。
> 日蓮正宗はこのことをもっとアピールしないのでしょうか

心理学にスコトーマ(SCOTOMA) という言葉があります。
盲点を意味する言葉であり、見ようとしているものしか、見えていない。
自分にとって、重要と思われる情報しか認識できないことです。

戒壇本尊の偽作説を主張する人たちは、「偽作説」が本当であることを熱望しているわけです。
従って、「偽作説」を裏付けるような資料のみを目を皿にして集めます。
しかし、戒壇本尊が本物であるらしいことを示唆する事や道理は目に入りません。
彼らは、「偽作説」教徒なのですよ。
このことをしっかりと認識しておくことが重要だと思いますね。

ということで、大石寺側は一応の公式的反論をし、あとは「捨て置け」と思っているのではありませんか。
私はそれはそれで、悪くないと思います。

「親疎(しんそ)と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ、」
(「報恩抄送文」)

と日蓮大聖人の御指南もあります。
このことも考慮にいれるべきでしょう。
要するに、人を見て法を説け、ということが必要なケースもあるでしょう。

何が何でも「折伏精神」をふりかざして「偽作説」教徒を追い詰めようとすることは、かえって日蓮正宗の品格を下げることにもなりかねません。

あと、あなたが述べているように、保田妙本寺の日我師の記録の件についてです。

「 戒壇本尊に触れた最古の文献は保田妙本寺十四世日我の「観心本尊抄抜書」にある「久遠寺の板本尊、今、大石寺にあり、大聖御存日の時の造立なり」。
(『富士宗学要集』第四巻 一七〇頁)との文である。
この文献は日蓮滅後二百八十年の永禄四(一五六一)年に記されたもので、大石寺では大十三世日院の時代に当たる。 」
(須田晴夫『日興門流と創価学会』 P242)

まあこの著者は「戒壇本尊偽作」派なのですけれどもね。
この記事の後、日我師以外の重要地位にあった六老僧をはじめとするそれ以降の人物の記録に「戒壇本尊」の記述がないのを一つの理由として、偽作説を断定しています。

私は、それとはやや違い、戒壇本尊に関する記録のないのは、それなりの理由があると思います。
それは、戒壇本尊は最重要な大御本尊でありながら、身延時代においても正本尊としては安置されていなかったものと思います。

「次に大石寺でのこの本尊の扱ひ方が、如何にも古伝と思はれる節がある。
其は、この本尊は将来戒壇堂に安置する迄は正本尊にはできないとして、本堂に置かず宝蔵中に置き、
信者に拝ませる時も内拝の形式をとって、太鼓も叩かず、行道もせず、公式な法会には直接関係させないで扱ってゐることである。」
(松本佐一郎『富士門徒の沿革と教義』 P393・P394)

「この本尊は将来戒壇堂に安置する迄は正本尊にはできない」ということが全てを物語っていると思います。
特に宗門上古では、戒壇本尊は秘密裏に厳護されてきたのではないでしょうか。
身延より大石寺に移っても、長い間、戒壇本尊の意義を真に理解できるのは法主上人をはじめ一部の高僧に限られていたのではないでしょうか。
日蓮大聖人以後に百八十年もその名が出て来ない第一の理由はそのへんにあるように思われるのですが。

まあ、客観的に見ると、「真作説」、「偽作説」とも可能性は半々という状況ですかね。

  • 質問者

    crs********さん

    2019/5/908:49:26

    >戒壇本尊は最重要な大御本尊でありながら、身延時代においても正本尊としては安置されていなかったものと思います。<先々代法主日達猊下の御指南によれば、身延時代は誰でも拝める御本尊であったといっておられます。手槍鉋、手斧削りで半丸太であることも述べられています。ですから回答者個人の見解でしかありませんね。すでに戒壇本尊については語り尽くされ、後世の作であることは確かです。キリスト教の進化論、日蓮正宗の大御本尊偽作、信者は決して認めることはないでしょう。最後に申し訳ないがBAを決める時間が来たようです。これにて。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

2019/5/422:16:13

tounoshotさんという日蓮正宗信者さんによると、一念三千論は多世界解釈と似ている関係であるということです。
人間ゴータマブッダがおよそ3000年前にインドにおいて、菩提樹の下真実を知覚した(始成正覚)。しかし実は久遠の昔から釈迦は仏であった(始成正覚)。
ところが、その始成正覚の釈迦を仏に導いたのは久遠元初自受用報身如来日蓮大聖人であった、というのが大石寺門流の三妙合論です。

釈迦は法華経神力品で上行菩薩に法を付属しています。
人間日蓮は鎌倉時代、法華経勧持品二十行の偈文に明かされる三類の敵人を呼び起こしたのは自分であるから、日蓮こそが法華経の行者である、つまり十方諸仏の上首、上行菩薩の垂迹であると言っているのですね。その証拠に保田妙本寺に所蔵される日蓮真筆本尊、万年救護本尊の讃文にそう書かれていますね。

ちょっと勘の鋭い方ならすぐ分かりますね。
ん?おかしいですね。
人間日蓮は神力品の上行菩薩の垂迹であると言っています、ですから時系列では上行菩薩は久成正覚の釈迦の時期です。
なのに、日蓮は久遠元初であり、本因妙の教主として本果妙つまり久成正覚の釈迦を仏に導いたと。
おかしいですよね?w

だって、久成正覚の釈迦は久遠元初より後の時代のはずですから、上行菩薩の付属を日蓮が受けられるわけがない。


それをtouno氏は、多世界解釈として解釈したわけですね。
そもそも法華経の中身は例え話、つまりフィクションです。
時系列もへったくれもありません。

実話が前提の久遠元初はそもそも成立し得ません。
先の多世界解釈でいえば何でもありで、仏が何人いようと日蓮が何人いようと良いことになってしまうんですよ。
そもそも、日蓮正宗だけが正しいという必要性すらなくなります。


阿部日顕の言うがごとく、そもそも歓談の本尊は偽、日蓮の作なんかでは無いのです。創価学会の本尊を偽本尊と言っていますが、当の日蓮正宗のものも偽なのです。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

戸田指導

「われらは大ご本尊様の元へ連れていく車屋であり、学会唯一の使命である」

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる