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大老井伊直弼は、就任後、一橋慶喜や徳川斉昭、松平春嶽などに条約締結のことを詰...

ari********さん

2019/5/1317:38:26

大老井伊直弼は、就任後、一橋慶喜や徳川斉昭、松平春嶽などに条約締結のことを詰問されますが、これら詰問した人物は、大老に意見して謹慎処分などを受けるとは思ってはいなかったのでしょうか?

それとも定められた日以外に登城したり、幕政トップの大老に意見したらまずいという認識は多少はあったのでしょうか?

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edo********さん

2019/5/1520:36:21

慶喜の不時登城と言うのはおかしいですね。
慶喜は違勅そのものの条約締結に驚き、江戸城に家老を派遣し井伊を呼んで来い、と命じました。家老は待たされた挙句、明日お待ちするとの返事を持って帰って来ます。そして、翌日慶喜は登城して鋭く責任追及をするも老獪な井伊にかわされてしまいます。そしてその翌日に徳川斉昭・慶篤・徳川慶勝の三人は不時登城して大老・老中を責めたことが謹慎などの処罰の対象になったわけです。井伊大老は慶喜を剣もほろろにやり込めれば、若い慶喜のこと、父斉昭に報告すること、斉昭は慶勝らと語らって 詰問に来るだろうと読んでいたのでしょう。斉昭や慶勝にしてみれば御三家の身分で不時登城で処罰の対象にされるとは夢にも思っていなかったと思います。
なので慶喜の処分の対象は不時登城ではなく、幕政批判です。

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met********さん

2019/5/1519:56:04

甘く見ていました。

この時代の論点は開国か、鎖国か、攘夷かではありません。

論点は天皇の政治関与を認めるか否かです。

もし、開国か攘夷かという論点なら斉昭は孤立していたでしょう。

困ったことに江戸時代後期の知識階級は皆朱子学が正しいという教育を受けています。その基本は政治権力の根源は皇帝(日本では天皇)であるというという教義です。

斉昭はともかく慶喜や慶永は現実派です。鎖国や攘夷は現実的ではないと考えていたと思います。
しかし、天皇の意向に従うかどうか、ということになると頭に血が上ってしまいました。

井伊直弼は極めて例外的です。彼も朱子学を学んだはずですが、天皇の判断は間違っていると冷静に判断できました。
しかも、腹が据わっていて自分の判断を押し通しました。
人生の前半極めて不遇でも、心を磨いていました。確か居合いを極めたのではなかったかな。

慶喜も斉昭も慶永も井伊直弼の性格は見ていたと思いますが、ここまで腹が据わっていているとは思わなかったのでしょう。朱子学的には自分達の方が正しいというおごりもあったと思います。

gat********さん

2019/5/1319:39:52

こういうことは何事も、既成事実ってやつが大切です。
成文法で「親藩は政治に意見してはならない」と決まっているわけではありません。長年の慣習でそうなってるだけで。
ということは、「ガンガン意見してみて、それでも罰せられなかった」場合、「御三家や親藩が幕政に口を出してもオッケー」という既成事実が出来ることになる。さらに、大老が自分たちのの意見を採用せざるを得ない、となれば、「御三家も大手を振って幕政に参加できることになった」ことになる。ルールが変わるんです。
だから、「今なら、何言っても世論が許す、大老は文句を言えまい、いや、この意見を採用せずばなるまい、チャンスだ」と考えたに違いないんです、むしろ。
(注・ここでいう「世論」というのは、参政権のない農民や町民のことではなく、あくまで大名、武家のあいだで、という意味です、以下同)

ここからは、チキンレースです。
「大老だって、伝家の宝刀は抜きたくないだろう、悪評は怖いだろうし、こっちのほうが身分は高いし、こっちが正論なんだ、今こそガンガン行って、政権を取ってやろう」という意図が丸見えです。
結局、「どこまでやったら、井伊がキレるか」というデッドラインを、一橋派としては見誤った、「どうせ井伊は刀を抜けない」と甘く見ていた、と言えるでしょう。

いやいや、「井伊がキレて暴挙に走る」ことまで計算に入れたうえでの確信犯だった、という見方も出来るかな、と私は勘ぐってます。
どうせ自分たち首謀者たちは身分が高いのだから謹慎がせいぜいだ、これで井伊が弾圧に出れば世論の支持を失っていずれ失脚する、そうすれば自分たちが復活できる」という計算だった、という線もありえます(実際そうなったし)。
下っ端がいくら捕まっても腹を切らされても首を切られてもかまわん、という貴族の理論もちょっと見えてくるような気がするのは私だけでしょうか。

ail********さん

2019/5/1319:06:24

当然、覚悟の上です。
大老にはそれだけの権限が与えられていました。
ただ大政委任論は水戸学の藤田幽谷で有名ですから、外交権も委任されていると考えるのが当然です。鎌倉時代、幕府が元の使者斬っています。室町時代将軍が日王として明に朝貢していますから。
無勅締結は言い掛かりだと思います。

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