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大正天皇は明治天皇の側室柳原愛子の子です。 明治天皇も孝明天皇の側室中山慶子...

サイレンで泣くバカさん

2019/6/109:00:26

大正天皇は明治天皇の側室柳原愛子の子です。
明治天皇も孝明天皇の側室中山慶子の子です。
孝明天皇も仁孝天皇の側室藤原雅子の子です。

こうして見ると、皇后が産んだ男子が三連続で即位した昭和、平成、令和は奇跡であり、側室制度を復活させないと、皇位継承は維持できないのではないですか?

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bul********さん

2019/6/114:18:57

その通りです。
関係者もそれがわかっていますが、さすがに側室は人権の問題があります。
だから、女性天皇、女系天皇の容認や、旧宮家の皇籍復帰の検討を始めたのです。

質問した人からのコメント

2019/6/2 12:00:54

ありがとうございました。

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san********さん

2019/6/123:08:52

それで国民の支持が得られるのならね。昭和天皇以来、側室を持たれないのは素晴らしい事だと思いますが、残念な事にそれが後継者が少なくなる原因なら残念なことです。

mil********さん

2019/6/122:44:21

側室というから女性の支持が得られないのだと思います
本来、帝の後宮では一夫多妻制がとられ正式に認められた妻が複数いました。基本は一夫多妻制であり側室の存在もありとした後宮だったのです。平安の御代、皇后も后、中宮も后で両人とも側室ではなく時には立后式も行った正式な妻なのです。
清少納言がお仕えしたのが皇后(前は中宮)であった定子、紫式部がお仕えしたのが中宮であった彰子です

ご皇室は特別な存在、我々庶民とは異なり民法も及ばないお立場ですので、一夫多妻制を取り入れるのに何の問題もありません。皇室典範には皇后の人数まで規定されてはおりませんので。

悠仁さまの御代までに「ご皇室は特別」「複数の后は天皇の伝統」を大いに広め実現されればご皇室も安泰になるかと思います。

jun********さん

2019/6/120:55:37

昔は、上流階級の女性は[鉛入りの白粉]を使っていたので、乳幼児の死亡率は半端無く、女性の平均寿命も短い時代だったので、側室を設けて、多くの子供を作ると言う時代でしたが、今、[鉛入りの白粉]を使っている人はいません。

当時と状況が違います。

大正天皇が[側室を置くこと]を断固拒否したので、大正天皇以降は、側室は起きません。

結果、昭和天皇は皇后の実子なので、戦後の価値観で、天皇が[皇后の実子]と[側室の子供]では、国民の受け取り方も違い、なおかつ、大正天皇や昭和天皇の側室がいたら、彼女たちの[戦後の扱い]など、どうなっていたか。

もしかしたら、戦後、欧米から[側室制度は非人道的]と言いがかりをつけられたかも知れません。

その意味では、大正天皇の判断は[正しい]って事です。

この、大正天皇は[庶民的な感覚を持つ]ところが、当時の政治家に嫌われて、必要以上に誤解されてますがね。

ヨーロッパの王室は[庶子には王位継承権が無い]ので、側室制度の有る無しが問題ではありません。

イギリスやスペインでは[男系女系混同の雑系主義]で、跡継ぎがいなければ、[例えドイツ人でも、何代か前のイギリス女王の血を持っていれば、イギリス国王になる]ような方法を取っています。

一方、フランスは[男系主義]で、直系が絶えると、遠縁でも[フランス人の男子]を即位させています。

結果、フランスは、[外国人の王]も[女王]もいません。

日本も、フランスと[同じ]男系主義を取ってきました。

これからも[同じ]事をすれば良いだけです。

mam********さん

2019/6/119:23:31

現在の先進国における社会的常識では、側室を置く事は大変困難でしょう。

しかし、先進国に於ける先進生殖医学の進歩と倫理規定により側室など必要ない状況です。
簡単。男系男子の精子と無作為に提供を受けた卵子を人工授精して、代理母を使えば、いくらでも男系男子を大量生産可能ですよ。

代理母が問題なら、受精を確認したら、天皇陛下および男系男子のお妃の子宮に戻せば良いだけです。

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

san********さん

2019/6/113:36:11

そうとも言い切れませんよ。

前近代の乳幼児死亡率、死産、流産率は非常に高く、現代や近未来と同列に論じることはナンセンスではなかろうかと思います。男女関係なく天皇の第一夫人に子供が生まれない、生まれても育たないケースも多いわけで、前近代のデータを基にすると、側室制度を設けないと男女関係なく皇室の血統は絶えることになります。

明治天皇 (122代天皇)
皇后:一条美子(昭憲皇太后)実子なし

権典侍:葉室光子(緋桃権典侍)
★第一皇子:稚瑞照彦尊(わかみずてるひこの みこと、1873)死産

権典侍:橋本夏子(小桜権典侍)
第一皇女:稚高依姫尊(わかたかよりひめの みこと、1873)死産

典侍:柳原愛子(早蕨典侍)はじめ権典侍
第二皇女:梅宮薫子内親王(うめのみや しげこ、1875-1876)
★第二皇子:建宮敬仁親王(たけのみや ゆきひと、1877-1878)
☆第三皇子:明宮嘉仁親王(はるのみや よしひと、1879-1926)- 大正天皇

権典侍:千種任子(花松権典侍)
第三皇女:滋宮韶子内親王(しげのみや あきこ、1881-1883)
第四皇女:増宮章子内親王(ますのみや ふみこ、1883)

権典侍:園祥子(小菊権典侍)
第五皇女:久宮静子内親王(ひさのみや しずこ、1886-1887)
★第四皇子:昭宮猷仁親王(あきのみや みちひと、1887-1888)
第六皇女:常宮昌子内親王(つねのみや まさこ、1888-1940)- 竹田宮恒久王妃
第七皇女:周宮房子内親王(かねのみや ふさこ、1890-1974)- 北白川宮成久王妃
第八皇女:富美宮允子内親王(ふみのみや のぶこ、1891-1933)- 朝香宮鳩彦王妃
★第五皇子:満宮輝仁親王(みつのみや てるひと、1893-1894)
第九皇女:泰宮聡子内親王(やすのみや としこ、1896-1978)- 東久邇宮稔彦王妃
第十皇女:貞宮多喜子内親王(さだのみや たきこ、1897-1899)


孝明天皇 (121代)
女御 九条夙子(英照皇太后)
第一皇女:順子内親王(1850-1852)
第二皇女:富貴宮(1858-1859)

典侍 坊城伸子(1830-1850)
★第一皇子:妙香華院(1850)

典侍 中山慶子(三位局)(1835-1907)
☆第二皇子:睦仁親王(明治天皇)(1852-1912)

典侍 堀河紀子(1837-1910)
第三皇女:寿万宮(1859-1861)
第四皇女:理宮(1861-1862)


仁孝天皇 (120代)
贈皇后:鷹司繋子(新皇嘉門院)(1798-1823) - 鷹司政煕女
★第一皇子:安仁親王(1820-1821)
第一皇女:慈悲心院宮(1823)

女御:鷹司祺子(新朔平門院)(1811-1847) - 鷹司政煕女、繋子妹
第四皇女:摩尼珠院宮(1829-1831)

典侍:正親町雅子(新待賢門院)(1803-1856) - 正親町実光女
★第二皇子:鎔宮(1825-1826)
☆第四皇子:統仁親王(孝明天皇)(1831-1866)
★第六皇子:節仁親王(第十代桂宮)(1833-1836)
第七皇女:恭宮(1837-1838)

典侍:甘露寺妍子(1806-1851) - 甘露寺国長女
第二皇女:成宮(1825-1826)
第三皇女:淑子内親王(第十一代桂宮)(1829-1881)
★第三皇子:三宮(1830-1831)
第五皇女:総宮(1832-1833)
第六皇女:経宮(1836)

典侍:橋本経子(1826-1865) - 橋本実久女
★第七皇子:胤宮(1844-1845)
第八皇女:親子内親王(皇女和宮)(1846-1877)

典侍:中山績子(1795-1875) - 中山愛親女

掌侍:今城媋子(1809-1875) - 今城定成女
★第五皇子:常寂光院宮(1832)


光格天皇 (119代)
中宮:欣子内親王(新清和院、1779-1846) - 後桃園天皇皇女
★第三皇子:温仁親王(若宮、1800)
★第七皇子:悦仁親王(高貴宮、1816-1821)

典侍:葉室頼子(民部卿典侍、1773-1846)
★第一皇子:礼仁親王(哲宮、1790-1791)
第一皇女:能布宮(1792-1793)
★第二皇子:俊宮(1793-1794)

典侍:勧修寺婧子(東京極院、1780-1843)
☆第四皇子:恵仁親王(寛宮、仁孝天皇、1800-1846)
第二皇女:多祉宮(1808)
第四皇女:娍宮(1817-1819) - 「娍」は女偏に成

典侍:高野正子(督典侍、1774-1846) -
★第六皇子:猗宮(1815-1819)

典侍:姉小路聡子(新典侍、1794-1888) - 姉小路公聡女
第五皇女:永潤女王(倫宮、1820-1830) - 大聖寺門跡
第八皇女:聖清女王(媛宮、1826-1827)
★第八皇子:嘉糯宮(1833-1835)

掌侍:東坊城和子(新内侍、1782-1811) - 東坊城益長女
★第五皇子:桂宮盛仁親王(磐宮、1810-1811) - 桂宮第10代
第三皇女:霊妙心院宮(1811)

掌侍:富小路明子(右衛門掌侍、?-1828) - 富小路貞直女
第六皇女:治宮(1822)
第七皇女:蓁子内親王(欽宮、1824-1842) - 宝鏡寺
第九皇女:勝宮(1826-1827)

掌侍:某氏(長橋局) - 父不詳
皇女:受楽院宮(1792) - 流産。皇子説あり

生母未詳
皇女:開示院宮(1789) - 流産。皇子説あり

Wikipediaより転載 一部修正 ☆は成人した男子、★は夭逝した男子

少々見にくいでしょうが、このように男子そのものは生まれているが育たないことが分かるかと思います。また出産における母親へのリスクも大きく、明治天皇の第二・第三夫人は産後の経過不良で死亡しています。

一説には宮中で使用された化粧に含まれる鉛や水銀成分が乳幼児の毒となりその死亡率を高めたと考えられています。また、限られた上流階級との縁組を奨励される天皇は、インブリーディングによる影響で遺伝子が弱くなっていた可能性も考えられます。

現代の衛生・栄養環境、医学を基にして傍系継承を認めるのであれば、男系は十分につなぐことができると思います。少なくとも、前近代のデータを基に試す前から不可能というのは結論ありきの女系論でしかないと思います。


ちなみに前近代の上流階級の資料を基に、女性の出産リスク、乳幼児死亡率を見てみると、前近代において男系男子継承が優先されたのは理に適っているように思います。可愛そうですが男性よりも女性の方が自分の子孫を残せず死ぬ可能性が高く、女系による血統継承こそ、いつ断絶してもおかしくないものであったように見えます。

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