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天守閣について質問です。

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ID非公開さん

2019/6/1114:02:52

天守閣について質問です。

日本には現在、12にもの天守閣が現存していますが
天守閣は江戸時代当時なにに使われていたのですか?

また、天守閣で城主はどんな行動を取っていたのですか?
できるだけ詳細に教えてほしいのですがどなたか詳しい方教えてください!

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met********さん

2019/6/1321:36:03

天守閣は殿様の権威を誇示するシンボルタワーです。
例えて言えばアメリカの自由の女神のようなものです。

よく殿様の御殿だと思っている人がいますが、エレベーターもエスカレーターもない時代は、天守閣に暮らすなんて罰ゲームとしか言いようがありません。トイレだって地上にしかありません。

ちなみに江戸城は本丸御殿は二階建てでしたが、将軍や身分の高い女中は1階に住み2階には下女が住んでいたそうです。

ただ、信長は安土城の天守閣の上層階で暮らしていたそうです。階段の昇り降りは屈強な家臣におんぶさせ、トイレは肥え壷にして、やはり屈強な家臣に担ぎ下ろさせていたそうです。変わり者。

天守閣は邸宅としても、オフィスとしても不向き。まして重い道具や武器の倉庫としても不向き。結局シンボルタワーなんです。

ただ、二度と戦はないだろうな、という時代になって、置き場に困った武器が天守閣の空きスペースにしまい込まれたということはあったそうですが...。

アメリカの大統領が自由の女神にあまり昇らないように、城主もあまり天守閣には上らなかったと思います。ただ、外から眺めて満足していただけ。

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mug********さん

2019/6/1114:35:01

高欄の付いている天守はたまに登って城下を眺めたりしたと思いますが、大抵の場合は
他の櫓と同様に倉庫として使われたと思います。
天守が畳敷になっていたのは名古屋城だけです。

ast********さん

2019/6/1114:18:41

江戸時代の天守はほぼ飾り物です。たまに城主が登って景色を眺めるぐらい…。維持できずに取り壊したり、規模を縮小した藩も有ります。

姫路城の大天守のように、最上階に鎮守・刑部(おさかべ)明神の社があるようなのは珍しいです。

江戸時代の天守はほぼ飾り物です。たまに城主が登って景色を眺めるぐらい…。維持できずに取り壊したり、規模を縮小した藩...

tun********さん

2019/6/1114:15:17

まず天守閣は、明治以後の俗称です。本来は、天守あるいは天主と呼びます。「天主」がキリスト教のゼウスを表すか否かの論争は決着がついていませんが、ここでは省略します。
(個人的には、信長がゼウスにちなんで天主と命名したと考えています)
ごく初期の天守(安土城や大坂城)では、城主が住んでいましたが、江戸時代になると城主は二の丸御殿などに住み、天守は物置として使うことが増えました。
そのため江戸では振袖火事で江戸城の天守が消失しても、再建しませんでした。
このように江戸時代の天守は、無用の長物となっていました。
せいぜい、城下から仰ぎ見て城主の権威を感じさせる程度の役割です。

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