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原始仏教といまの仏教ってどう違うんですか?

huj********さん

2019/7/517:59:39

原始仏教といまの仏教ってどう違うんですか?

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xia********さん

2019/7/806:48:41

とりあえず、原始仏教は、アートマンや霊魂の存在をみとめ、アートマンを追求していく。


現在の仏教は、インドでは完全に滅びたので、スリランカとかから来た、逆輸入仏教。


それは、霊魂、神、アートマンを認めない。しんだら終わり。
日本の仏教は、唯一遅れて入った禅宗だけが是に近い。


つまり、全く違う。


残りの日本の仏教は、語る必要もないくらい、ただのオカルト。
実際、釈迦を本尊としてないしことから、距離遠いのは自覚済み。


原始仏教の教えは、もろに、オリジナルなしの、インド思想そのもの。
釈迦には仏教という概念はなかったと思われる。

これが、宗教団体と関係のない 通説的な見解です。

質問した人からのコメント

2019/7/11 23:06:09

そうなんですか、詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

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nat********さん

2019/7/810:08:57

宗教は社会状況と無縁ではなく、むしろ社会状況がもたらす”需要”があってこそ、”供給”として宗教が人々に受け入られ広められる要素になります。

古代社会における人々の生活を考えてみてください。
当たり前ですが、テレビも新聞もありません。
人びとの多くは文字も知りません。

ブッダ時代には農業の生産性上がり、都市が生まれ、流通が発達し、貨幣経済が始まった時代です。

社会は複雑に組織化(オーガナイズ)され、現代社会に見られる”人間疎外”の萌芽が見られる時代です。

インド亜大陸において発生した古い起源を持つ「出家」(沙門宗教においては、出家が求められ、それが道を究めるための第一歩と見做されていました)とは、オーガナイズドされた社会から抜け出し、一個の人間としての立場から”人間性の回復”を唱えた点に特徴があり、この運動(新しい生き方です)は思想を伴い、(古代における)科学的発想を伴い、”人間解放”をテーマするに至り、この”解放”のひとつの答えが、【ブッダの教え】として結実しました。

宗教は社会とは無縁ではありません。
ブッダの教えにも社会性があります。
人間が社会を作り、社会の中で生きる限りは、社会と”一個の人間”の問題というテーマは永遠に存在し続けるのであり、この意味において、ブッダの教えという2500年前に説かれた教えも現代人を惹きつけ続けているのでしょう。

沙門宗教(仏教やジャイナ教など)における指導的立場の人(≒聖者)とは、”解脱者”のことですが、解脱者とは自己を解放すると共に、オーガナイズドされた社会に風を送り込み解放させる機能が求められると思います。それは社会に対する”批評的視点からの考察”として表れます。

現代仏教が、オーガナイズドを推し進める社会の側に寄り過ぎると、ブッダの教えが本来持っていた機能も魅力も失われてしまうと思います。

誤解を恐れずに言えば、アメリカで1950年代くらいから始まった、現代文明批判・オルタナティブな価値の称揚・人間解放主義的な諸々の運動といったものも、”沙門宗教”的だと思います。(分かりやすく言えば、金儲けや”発展”と距離を置く”文化”)

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2019/7/612:49:07

ヨガに近いものでは無かったか?とも推測するのだが
と、言っても…健康云々で型のみ重視のヨガでは無く
瞑想の一環としてのものの話だが。o○

ヨーガ(梵: योग, yoga)は、
古代インド発祥の伝統的な宗教的行法で、心身を鍛錬によって制御し、
精神を統一して古代インドの人生究極の目標である輪廻からの
「解脱(モークシャ)」に至ろうとするものである
(ウィキペディアより)

少なくとも、読経…祈るだけな感じでは無かったであろう。
釈迦:「ゴータマ」様が説く初期の仏教がどのようなものだったのか?
詳しくは知らないのだけども、そういう漠然とはしてるが推測出来る。

釈迦入滅後、しっかし教団は動揺しまくったようで
そこで残念ながら思想、今後の行いに迷いが生じまくったようだ。
しかも、仏舎利信仰(ストゥーパ。この言葉が更に簡素化し
日本ではもはや原型とどめてない気もするが「卒塔婆」になった)
要は、釈迦の骨を崇める…それって哲学や実践とはかけ離れた
拝み教になっちまったって感がある。

そして、先祖供養とかどういうワケか(これは仏教に限らん)
そういう方向にシフトしていったようです
(やや、先祖返り?初心に戻そうという試みで「密教」誕生)。

いまの仏教…
気づくと一体どの位宗派があるんだろうか?
更に、日本では一般的になってるが「漢字」のお経を拝む。
漢訳止まりってどういう事だ?そもそも仏教は漢字で説かれたワケが
無いのだが(;一_一)。o○インドッス。

上座部仏教
小乗仏教とも呼ばれた事あがあるのだが、
小さき乗り物で要は一部の人間しか救わんだろっていう軽蔑視的な
見方である。個人救済というか、個人の輪廻から脱する
…悟る事が目的。その為に日常生活さえ軽視する感もあるので
在家とよばれる一般人には受け入れがたいものでもある。
また、マジで全員が仮に従事したら経済活動は停止…
食料調達さえ不可能になるというツッコミも可能。

大乗仏教
要は上記に上座部に対し、広く(浅くΣ(@_@;)?)
広める感じの仏教だ。
大衆にはどうもそちらの方が受け入れ易かったのか?
主流となっていった。
日本ではほぼこちらの系統(無論更にアレンジされてる)。

原始…初期仏教はおそらくだが修行も多く取り入れられたとは思う。
最初に言ったようにヨーガの要素も多かっただろう。
ゴータマは、でも過剰な修行を戒めてもいるそうだ。
今もあるんだろうけど、激しく厳しい修行をしてる者を
崇高に思う感覚がある。
この言い方は確実に語弊があるのを承知で言うと、
それはマゾだΣ(゚д゚lll)。
女王様こそおられないが、「あぁ~もっと女王様ブって」的なヾ(゚Д゚ )ォィォィ。
一般的では無いが、それも快楽(知らなくていいゾ(笑))の一種である。
そういうのにさえ、囚われる事を否としたのが初期仏教だったのでは無いか?
それでももっと高みへ、そういう境地へ…
輪廻というシガラミから脱出する為に、みたいな感じが
原始仏教だったのではないだろうか?

https://ja.wikipedia.org/wiki/中道
真ん中を特定するのは難しい。端っこはわかりやすい
(無論、宇宙の端っこはどこだとかそういうわからん事もあるが)。
そこを特定、極めるというのは…まぁやっぱ難しいゎな。
言葉では伝えきれない…「教え」の限界ってのはあるだろうけど。

だからといって、説教くさいのやら
お題目唱えるだけの仏教はどうなのだ?
坊主丸儲け系な葬儀屋的なモノを、ゴータマはどう感じるだろう?
おっと、この世の縁ブッタ切ってるから知る由もないかヾ(゚Д゚ )ォィォィ。

しょっぽクン

sam********さん

2019/7/611:11:27

過去の仏教も現代の仏教も「個性」は同じです。

過去の仏教の「普遍性」と現代の仏教の「個性」を比べるから違うと思うのです。

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man********さん

2019/7/605:13:28

上座部(パオ系)によると原始仏教では仏陀と上級弟子阿羅漢が中心にいましたが今はいません。現在は普通弟子阿羅漢しかいませんしなることができません。

次に仏陀と上級弟子が世界に現れるのは弥勒菩薩が仏陀になるまで待たなければなりません。

猫次郎さん

2019/7/522:38:51

原始仏教では”こんな厳しい修業しても意味ねぇよやってられっか(ノ`Д´)ノ彡┻━┻”
今の仏教は”厳しい修業を積んだものだけが極楽に行けるのです。”という正反対の内容です。

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