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関ヶ原の戦い 西軍と東軍どちらの人数が多かったのでしょか? 調べていてもサイト...

sar********さん

2019/7/617:46:54

関ヶ原の戦い 西軍と東軍どちらの人数が多かったのでしょか?
調べていてもサイトによって全然違います
諸説アリ以上の回答をお願いいたします

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f27********さん

2019/7/620:24:45

どこまで含めているかでも変わります
また正確な動員兵力もわからないのが実情ではあります
関ヶ原とその周辺に終結した軍だけに限定すると、
東軍10万vs西軍8万
もしくは
東軍7万5千vs西軍10万
というのをよく耳にします
東軍の10万と7万5千の差は、南宮山への抑えの部隊(池田、浅野、山内等)を入れるかどうかと言われています
一方西軍はあとで裏切った小早川等や不戦の毛利、その後ろの長宗我部等諸勢も含まれていますが、実数8万であるのを、味方の士気を鼓舞するために10万と称したともいいます
毛利や長宗我部も計算に入れるなら、その抑えも入れなくてはならない気はします
で、西軍の10万が虚勢なら
東軍10万vs西軍8万の方に分があるように私的には思います

ただ現地の感覚では戦意の有無はともかく、西軍の方が人数は多いと認識はされていたようです
これも実話かどうか証明しようもありませんが、島津義弘が決戦前夜夜襲を提案したときに「味方の方が大軍なのに必要ない」と三成や島左近に退けられたエピソード
あるいは後年大坂の冬の陣で豊臣側の和平派が「家康は小牧長久手や関ヶ原で寡兵で大兵を破ったから、勝てるわけないので戦うべきでない」と主張した話などにも表れてます

そうは言っても結局わからないというのが結論ではあります
それと西軍で実際に戦ったのは3万程度でした
これは、内応してした部隊や、それに阻まれて戦闘に参加できなかった部隊、さらに三成に愛想をつかして、積極的な戦闘をしなかった島津などを除いたところです
東軍も家康本隊3万数千は後ろに控えていて、ほぼ戦闘に参加していません
よって開戦時は、東軍4万5千程度vs西軍3万くらい
小早川他4隊の寝返り後なら
東軍6万5千vs西軍3万といったところでしょう

  • f27********さん

    2019/7/706:47:36

    補足:東軍10万といったばあい、南宮山の抑えの他、大垣城への抑えも含めます
    すなわち南宮山及び大垣城への抑えの軍が合わせて2万6千ほどされています

    なお、各隊の兵力はおもに旧日本軍参謀本部『日本戦史関ヶ原役』に依拠していて、その算出の根拠は会津遠征のさいの軍役高である「禄百石ごとに三人」が基準となっています

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ベストアンサー以外の回答

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img********さん

2019/7/812:00:53

真田宛三成書状は実際には自国から動いていない中川秀成や、病気で動けない伊東祐兵(息子を東軍として九州へ帰している)などを含んでいるので、かなり「盛って」います

京極高次や脇坂安治などは、家康と連絡を取り合っています

蜂須賀も父子とも東軍ですね

関ヶ原戦に布陣した西軍(南宮山と小早川勢は含まない)は4万(近衛前久書状から)

東軍先発隊は4万(近衛前久書状から)

家康本隊は4-5万(近衛前久書状から)

秀忠隊は2-3万(3万8千は信濃衆=信濃周辺大名を含む)

ですね

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