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関ヶ原の戦いの主要メンバーについて 東軍は武断派の武将が中心 西軍は西国の...

sar********さん

2019/7/618:03:45

関ヶ原の戦いの主要メンバーについて

東軍は武断派の武将が中心
西軍は西国の武将が中心

この認識はあっていますか?

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jun********さん

2019/7/618:33:46

西軍が越前、近江、美濃のラインから西に片寄っているのは、
確かですね。
ただ、東軍を武断派と言ってしまうのは、どうでしょう。
そもそも武断派とか奉行派などいった分類は、
後世につけられたもので、実際にそんな派閥があったかどうかは、
定かではありません。

東軍をまとめている目的は、石田三成を除きたいと、
考える集団と理解するのが、適当ではないでしょうか。
もちろん、この中には後に武断派と呼ばれる、
加藤、福島、黒田といった石田三成襲撃未遂グループも含まれますが、
他には、中村、山内、掘尾といった尾張出身の秀吉の古参家臣や、
藤堂、有馬、池田など家康に積極的に協力を図ったグループなど、
さまざまな事情の大名がいます。
彼らを纏めていたのが、三成嫌いという共通項で、
家康はこれを最大限に、利用したのだと思います。

そして、西軍は家康が突出した力を持つ事を警戒したグループです。
だから、五大老の毛利、上杉、宇喜多らが揃って、
西軍に加盟したのでしょう。
このように、両軍ともに狙い撃ちされる人物が特定されるから、
この合戦は、家康VS三成の戦いと、
見なされるようになったと思います。

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nad********さん

2019/7/619:43:12

西軍は毛利と宇喜多が中心となった軍です。
そこに長宗我部や島津が付き従いました。
なので西国の武将が中心です。
東軍は遠征中いきなり、毛利や石田三成らが挙兵したので様々な武将がいます。

上杉は西軍という認識をされてますが、どちらでもなく、ただ周辺諸国への攻撃を考えていたのは間違いないかと。

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