ここから本文です

北条時政は、政所の別当ではありましたが侍所の別当にはなっていないとになぜ執権...

アバター

ID非公開さん

2019/8/108:29:02

北条時政は、政所の別当ではありましたが侍所の別当にはなっていないとになぜ執権と呼ばれるのですか?

閲覧数:
33
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

knz********さん

2019/8/114:50:13

院(上皇等)・公卿の家政機関の政所の複数別当の中で実務責任者のことを執権別当といいました。3代将軍実朝の代になり、政所別当が以前は大江広元のような文士御家人(文吏僚)だけであったのが、北条時政が武士御家人として初めて就任すると共に、幕府の実権を掌握し、以後歴代の北条氏がこれを継承したので、以後この地位を執権と称するようになりました。和田氏の乱で侍所別当和田義盛を滅ぼすことで、北条義時が政所別当に加えて侍所別当を兼ねますが、これにより義時の権力は高まりましたが、義時が幕府実権を掌握したのは、牧氏の変で父時政を失脚させて、政所別当に就任した時ですから、初代執権を時政にしてよいのです。

なお、北条義時の死後、執権北条泰時・連署北条時房となります。連署は関東御教書等に執権に次いで署判するので、この名称がでましたが、鎌倉時代には両執権とも称されており、政所別当には両者とも就任していますが、侍所別当はそうではありません。すなわち、執権にとって侍所別当であるかは関係ないのです。

最後に、執権北条義時の時代、以前からの政所別当大江広元も出家するまでは在任しており、この義時・広元を両執権ととする中世研究者もいます。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

zeu********さん

2019/8/110:34:28

北条時政の頃は執権という役職はまだ正式にはありませんでした。

名実ともに初代執権は北条義時です。
執権は政所と侍所の両方を束ねる役職を意味していました。

実は北条時政が政所の長官だった大江広元に

「ちょっとでいいから、政所の仕事も携わってみたい」

ってお願いしたら、広元もやすやすと「やってみますか?」と応じたことから、北条時政が侍所と政所の両方を束ねたため、これを後の歴史家たちが初代執権と見なしただけです。

当時、政所は朝廷とのやりとりをつかさどる機関で、朝廷は教養の低い武士たちにわざと難解な漢文で書状を鎌倉によこすなどをしていました。
学者貴族の広元でないと、務まらなかったといわれています。

時政も
「なんか、難しい仕事だなぁ~」
と政所の職務にはすぐに興味を失い、広元殿でないと務まらんことだとぼやいたと伝わっています。

最初っから、大江広元は北条時政などに政所(公文所)の仕事などできっこしないと踏んでいて、「やってみますか?」って応じたのでしょうね。
北条時政記は頼朝の舅ですから、むげにもできなかったのでしょう。

2019/8/109:28:12

執権は役職の筆頭という意味しかない。

なんでWikipediaも見ないで質問するのかな。

あわせて知りたい

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる