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1941年12月8日~1945年8月15日まで太平洋戦争(大東亜戦争)がありましたが、この期...

kag********さん

2019/8/611:52:12

1941年12月8日~1945年8月15日まで太平洋戦争(大東亜戦争)がありましたが、この期間で日米主力同士の艦隊決戦が起こり得たかもしれない決戦場ってあったのですか?

当時の戦艦派は空母同士の

戦いが決着後、残存艦隊同士で決戦が起こると言ってたそうですが、上記の期間中に大規模な艦隊決戦は起こり得ましたか?

艦隊決戦,残存艦隊同士,日米主力同士,大東亜戦争,空母同士,速戦速決,ミッドウェー海戦

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cel********さん

2019/8/618:27:36

当時の『戦艦派』ってどんなのだろうと思いますが、より根本的には(艦隊)『決戦』をどういう定義で使っているか、という問題があると思います。

先に結論めいたものを言うなら、「決戦」という字の通りの意味、つまり戦争の結果をほぼ決めるほどの戦い(例えば、日露戦争での日本海海戦の様なもの)で使われているのならば、その可能性は無かった、と言って良いと思います。(実際、日本海軍も、個々人の意見はともかくも大勢としては、そういう決戦があるとは予想していませんでした)

日中戦争以降敗戦迄の事実上の最高意思決定機関だった大本営政府連絡会議(後に最高戦争指導会議に改称)の1941年9月3日での議論から、永野海軍軍令部総長の発言をご紹介します。

~~

戦争に就ては海軍は長期短期二様に考える。たぶん長期となると思う。従って長期の覚悟が必要だ。敵が速戦速決に来ることは希望する所にして、其の場合は我近海に於て決戦をやり相当の勝算があると見込んでいる。而し戦争はそれで終わるとは思わぬ。長期戦となるべし。此の場合にも戦勝の成果を利用し長期戦に対応するが有利と思う。これに反して決戦なく長期戦となれば苦痛だ。特に物資が欠乏するので之を獲得せざれば長期戦は成立せぬ。物資を取ることと戦略要点をとることに依り、不敗の備をなすことが大切だ。敵に王手で行く手段はない、而し王手がないとしても、国際情勢の変化に依り取るべき手段はあるだろう。
要するに国軍としては非常に窮境に陥らぬ立場に立つこと、又開戦時期を我方で定め先制を占むる外なし。之に依って勇往邁進する以外に手がない。

~~

国立公文書館アジア歴史資料センター(以下“アジ歴”)レファレンスコードC12120252300「9月3日第50回連絡会議 「帝国国策遂行要領」に関する件」の2~3/8からの引用です。)

敵(米国)が速戦速決で来るならむしろ歓迎だ。(開戦当初は戦力的に優位、という判断の元に)近海での決戦で恐らく勝てる。が、それに勝っても戦争の終わりにはならず、長期戦になるだろう。

(米国が速戦速決に来ず)決戦が起きないまま長期戦になるのは苦痛だ。

…ってな主旨の事を言っていますね。

『米国が積極的に攻めてきてそこで起きる「決戦」では勝てるだろうが、それで戦争は終わるとは思わない』って事は、ここで言う「決戦」とは、「日本海海戦」の様なものではない、つまり、「それで戦争の行方がほぼ決まる」という程の決定的な戦いではない方の『決戦』の意味で、永野軍令部総長が語っているのは間違いないですね。

「この戦いで、日本が勝つか米国が勝つか、そのどちらかがほぼ決まる」というような意味での決戦は、永野軍令部総長の頭の中には無かった、という事ですね。(11月1日の大本営政府連絡会議でも同様の認識を永野総長は語っています。)

何故かと言うと、ある戦いには日本が完勝しても、圧倒的な工業生産力の日米格差からして、米国は(戦争を止める事さえしなければ)いずれは戦力を回復させるからです。

だから、仮に米国が(日本海軍の望み通りに)速戦速決を狙って来てそれに勝っても戦争の決着は付かず長期戦になる、まして速戦速決を狙って来なければ(開戦所期に米国を大きく叩けないので)益々苦しくなる、そういう認識が『敵に王手で行く手段はない』(=米国を軍事的に屈服させる事は困難)という発言に繋がっています。『王手がないとしても、国際情勢の変化に依り取るべき手段はあるだろう』というのは、ドイツが英国を屈服させる、という国際情勢の変化があれば、米国も戦争を続ける意味がなくなるだろう、という意味です。

それが、11月15日の大本営政府連絡会議決定『「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案』(アジ歴レファレンスコードC12120209300)の「方針」の…

~~

一 速に極東における米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立すると共に、更に積極的措置に依り蒋政権の屈服を促進し、独伊と提携して先づ英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむるに勉む。

~~

として、日本の最高意思決定機関レベルの「こうして戦争に勝つ(少なくとも負けない)」正式シナリオになりました。

…と云う訳で、「決戦」という字の通りの「戦争の行方が決まるような戦い」という意味の決戦は、日本海軍も最初から予想していなかった、という事になります。

一方、双方の大規模な艦隊が衝突して、(その戦いについて)勝ち負けが明確になるまで戦い中途半端なところでは終らない、という意味の決戦ならば、例えばミッドウェー海戦はほぼそれに当る、つまり、現実にあった、というべきでしょう。

が、ミッドウェー海戦で敗北し、ソロモン諸島近辺での戦いでも大きく消耗し、米軍が(爆撃機による日本本土への直接攻撃が可能になる)マリアナ諸島奪還を狙ってきたのを阻止しようとしたマリアナ沖海戦は、日本からすれば『ここで勝ったからと言って戦争に勝てる訳じゃ決して無いが、負ければもう戦争自体がアウト』という意味の決戦ではありましたがそれに破れました。
これは、大本営陸軍参謀本部第二十班(通称“戦争指導班”)の業務日誌である機密戦争日誌の1941年6月24日分(アジ歴レファレンスコードC12120325100の41/47)に、

~~

海軍のあ号作戦に関し陸軍と協議の上中止するに決す。
即ち帝国は「サイパン」島を放棄することとなれり。
来月上旬中には「サイパン」守備隊は玉碎すべし。
最早希望ある戦争指導は遂行し得ず、残るは一億玉碎に依る敵の戦意喪失を俟つあるのみ

~~

と書いてある通り、後は「とにかく出来るだけ米軍にダメージを与えて、“もうここら辺でやめておくか”と思わせる事に期待するしかない」という状態になった事を意味しました。

…という訳で、

「戦争の決」になるような「決戦」なら、最初から予想できなかったし、していなかった

「大規模な戦闘を、勝ち負けがハッキリする迄戦う」という意味の決戦なら、実際にあった

って事になります。

尚、”戦艦派”をどういう意味で使われているのかはわかりませんが、山本五十六は、上記の『正式シナリオ』とは違って、戦力が優位な内に出来るだけ米国を叩くべし、という意見だったのはご存知かと思います。ただ、戦力が優位な内に、出来るだけ叩く(言い換えれば、とにかく勝ち続ける)方が長期戦よりは”マシ”という意味ではあっても、「戦争の行方を決定する」様な決戦をどこかで想定していた、という話は、私は今の所聞いた事がないです。

質問した人からのコメント

2019/8/6 20:15:57

なるほど。いやはや詳細に教えて頂きまして、ありがとうございました。やはり、日本が米国に勝つには技術面と超兵器(富嶽,原子爆弾,怪力光線)みたいな物が必要なんですね…。

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zer********さん

2019/8/618:14:06

スリガオ海峡海戦
実際には扶桑型戦艦2隻、重巡最上、駆逐艦4のみで突入し袋叩きにあったが、当初の作戦では栗田艦隊の大和武蔵長門以下主力戦艦隊と合流、続いて志摩艦隊の重巡那智以下が追随合流して戦艦9隻以下50隻近くが、レイテ湾付近の米艦隊戦艦12隻以下80隻と狭いレイテ湾~スリガオ海峡付近の海域で殴り合いになるかもしれんかった。実際米艦隊も上陸部隊を襲ってくるであろう日本艦隊を待ち構えて戦艦隊をこの水域に配備して待ち構えていた
まぁ、作戦の前提が「先に行われた台湾沖航空戦で敵航空戦力は大打撃を受けており、ここで残存艦隊とフィリピン上陸米軍を排除できれば南方からの資源輸送と本土への直接攻撃の危険は大幅に減る」というものであり、実際には米空母部隊はほとんど無傷だったんでこの時点でやっても戦局は覆せなかったんだが。まぁ当時の当事者はそんなんわからんからね。実際に行ってみたらフィリピンに近づいたところでめちゃくちゃ米軍機飛んでくるし、残存空母を引き付ける小沢艦隊は航空攻撃で全滅(いちおう米空母機動部隊の釣り上げには成功した)するしでどうにもならんかった

まぁ、 なんでほとんど起きなかったかっていうと真珠湾攻撃のおかげなんだけどね。

真珠湾で旧式戦艦の大半が沈められたり大規模修理を受けなきゃいけなくなったので、米軍としても決戦ができなくなった。本来ならフィリピンやマレー半島に日本軍が出てきたら空母を護衛とした戦艦隊がハワイから出てきて阻止するていう防衛計画だったが、いきなり戦艦を全損させられ立て直す前に西太平洋の大半を取られちゃったので決戦しようにもできなかったというところもある
米軍にももちろん戦艦派はいて、日本より遅くまで戦艦建造していた(それどころか湾岸戦争時代まで生き残ってた)が、戦艦自体がないんじゃどうにもならんなぁってところ。1943年になってやっと修理済みや新造戦艦が前線に回せるようになった時にはそれ以上に空母ができてて、逆に日本は燃料や航空機、パイロットが消耗してて空母同士で戦った後決戦のつもりが空母だけで大半かたがついちゃうくらい楽勝ゲームになっちゃってた

なお、別に米軍は言うほど戦艦軽視空母万能とも思ってないよ。護衛戦闘機がちょっといるだけで戦艦は沈まなくなる。これは終戦までどの国も同じだったからね。空母はそれでも沈んだけど

pcs********さん

2019/8/612:39:28

そもそも艦隊決戦なんか
無理ですよ…アメリカは自由主義ですから

ans********さん

2019/8/612:01:00

無いよ
あっちには「決戦」ていう考えないもの

日本はマハンの海上権力史論の影響が世界一高くて
艦隊決戦、ていう考えだったけど
海外ではマハンはあんまり評価されなかったから

だいたいマハンは1800年代の人だし
当時は「大量生産」「高速輸送」「飛行機」
てのが無かったからね

アメリカみたいに4年で空母を100隻以上作ってくるような国相手に
1度の戦闘で決着つくわけないじゃん

艦隊決戦、ていう考え自体が
当時でも超古かったんだよ
時代遅れ

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