ここから本文です

太平洋戦争中の日本軍の暗号解読技術についての質問です。 米軍が日本軍の暗号の殆...

nar********さん

2019/8/2121:45:20

太平洋戦争中の日本軍の暗号解読技術についての質問です。 米軍が日本軍の暗号の殆どを解読していた事は良く知られています。 ミッドウェー海戦や、山本五十六大将の搭乗機撃墜等。

では、日本軍が傍受した米軍の暗号文書をどの位解読していたのでしょうか? 大戦の後半は、米軍は余裕で平文で打っていたらしいですが…・ 戦史や旧日本軍に詳しい方、お願い致します。

閲覧数:
47
回答数:
4
お礼:
100枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

bro********さん

2019/8/2122:26:34

大本営情報参謀の堀栄三氏が書いた本を読むと、米軍の通信文の解読は出来ないままでした。
ただ毎回の電文でコールサイン部分が平文だったので、傾向分析をして敵の企図を推測していました。かなり正確だったそうです。
例えば1944年2月のトラック大空襲、1945年1月のルソン上陸など”いつ何処に”がピタリと当たり、米軍はスパイの存在を疑ったそうです。

暗号は用途に合わせて各レベルのものがあり、難度の低いものが解読できたかもしれませんが、堀氏の本には載っていませんでした。
原爆投下のことに触れていましたが、ルーズベルトの日系人収容所政策によりスパイ網が一網打尽にされ、「情報の裏がとれなくなった」ことが事前探知に失敗した最大の要因とのことでした。
「1つの情報だけで信ずることは出来ない。偽情報かもしれないからである。複数の情報の交差するところに真実がある」そんな含蓄のある言葉も出ていました。

  • 質問者

    nar********さん

    2019/8/2407:51:25

    回答を頂き、ありがとうございました。

    やっぱり米軍の暗号文そのものは解読出来ませんでしたか?!

    >1つの情報だけで信ずることは出来ない。

    仮に解読が可能となっても、意図的な偽情報の可能性もありますからね。 解読 ⇒ 真実 とは別物ですね。  

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

質問した人からのコメント

2019/8/25 20:36:48

4名の方から情報を頂きました。

BAは迷いましたが、一番早く回答頂きました bro さんに決定致します。

ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜3件/3件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

vox********さん

2019/8/2204:06:20

他の回答で長々と書いているが、暗号解読では手も足も出なかった。完敗。「状況判断」と「暗号解読」はまったく別。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

プロフィール画像

カテゴリマスター

he0********さん

2019/8/2122:55:58

暗号を解読していたのは米側だけだったのではなく、日本側も開戦前に解読可能だった米国の最高強度の外交暗号(ストリップ・サイファー)は全て解読し読んでいた。ストリップ・サイファーのもっとも古い解読例は昭和十六年三月だが、それ以前は(以降も)多くの電報がブラウンと呼ばれるコード式で暗号化されており、この解読例も大ある。また、日本は英国の各省間連絡暗号(多くの外交暗号が、この形式であった)も解読していた。ちなみに昭和十五年現在、米国の暗号解読は一日平均一○件強、英国は六件弱、中国(蒋介石)は約一一件であった。昭和十六年に入ると米国の暗号解読は一日平均一六件弱、英国も九件超に増加(二月中旬)した。
昭和六年二月末頃、米国哈爾浜(はーあるびん)駐在総領事が、北京駐在公使に栄転の為に、家族とともに哈爾浜(はーあるびん)から北京へ列車で立った。その際に奉天憲兵隊外事班五名がトランク五つ分の米国外交暗号書(発信暗号組立表と受信解読用)を全て写真撮影した。その後、極東駐在米国公使館と本国との暗号通信は全て解読出来るようになった。
昭和十六年十二月八日の真珠湾攻撃に際しても、在米ホノルル日本領事館に勤務する森村正(もりむらただし)書記生は、海軍軍令部からハワイの気象条件を尋ねられた際は、日本人のアマチュア天文学者から得た情報「ハワイには三○年来、暴風雨なし」を伝えた。つまり、気象条件に関係なく攻撃を決行できるということだ。森村正の正体は、真珠湾に停泊する米艦船の種類や数を偵察するため、昭和十六年三月に派遣された、海軍軍令部情報部所属の軍人で、本名は吉川猛夫と言った。ちなみに森村正というのは、外国人に発音しにくいように作られた偽名であった。同年十月下旬になると、民間人最後の引き揚げ船「竜田丸」に船の事務員になりすまして乗り込んだ海軍軍令部第三部第五課の中島湊海軍少佐が、調査項目を喜多長雄総領事に手渡した。その数、実に九七項目。小さく折りたたむことができる和紙のコヨリに鉛筆でビッシリ書き連ねられていた。森村正は受験生のように徹夜で回答を書き終えて、翌朝、喜多長雄総領事に戻したという。例えば「艦船の総数」「艦名」「戦艦・空母の動静」「多くの艦船が在泊する曜日」「飛行機の機数」「潜水艦の行動」などである。「多くの艦船が在泊する曜日」には「日曜日」と回答した。十一月に入ると東京からは「艦隊の動向」に関する質問項目ばかりが入ってきた。報告の義務も、最初は一週間に一度だったものが、三日に一度になり、十二月二日からは「毎日報告せよ」となった。十二月六日の夕方、電報の作成にとりかかる。「六日、真珠湾在泊中の艦船次のごとし。戦艦九、軽巡三、潜水母艦三、駆逐艦一七。この他、軽巡四、駆逐艦二は入渠中なり。航空母艦と重巡は全部出港して在泊せず。艦隊航空隊による航空偵察は行われている形勢なし」。真珠湾攻撃の約十二時間前のことだった。
日本海軍は米、英の暗号を解き始め、日本海軍は海軍軍令部第四部。日本陸軍は参謀本部第二部が昭和初期に「暗号班」を設置し、その後、組織改編を経て、昭和十八年七月に「陸軍中央特種情報部」が新設され、一○○○人を超える暗号解読の実施部隊として、本格的な暗号解読に乗り出した。戦前に台湾の英国公館や神戸の米国領事館に密偵を潜入させて暗号書や乱数表を盗撮して解読に成功。日本陸軍はソ、中、米、英、仏、独といった国々の外交暗号の一部を解けるようになった。日本軍はこのような通信情報のことを「特種情報(特情)」と呼んだ。昭和十九年四月に数学者や言語学者と陸軍幹部らで構成する「陸軍数学研究会」を発足させ、日本軍は米軍の暗号を「Z暗号」と「ストリップ暗号」の2種類に分類し、独国でも解けなかった機械式の非常に強度の高い大変複雑な「ストリップ暗号」の解読には成功していた。日本陸軍に限っていえば、暗号解読能力は世界レベルだった。又、在スウェーデン公使館附陸軍武官である小野寺信(おのでらまこと)陸軍少将を経由して入手した暗号機械クリプトテクニクM209暗号機のお陰で、昭和十九年八月頃から、米軍第一線部隊の暗号解読に成功した。但し、捕虜にした米兵を尋問して暗号機の操作方法を知ったことで、飛躍的に作業が進展した。フィリピンゲリラの通信解読は完全に成功し、フィリピン方面軍にとって大きな助けとなった。
大本営陸軍部第二部(情報部)第六課(米英情報担当)米国班の大本営情報参謀だった堀栄三陸軍中佐によると、戦時下、大本営情報部の堀の机には、毎日米国の海外放送を傍受した記録が届けられた。主に戦時ニュースが中心であったが、なかにはドラマや社会的テーマのドキュメントなども日本語に訳されて届けられた。米国社会が、“敵国日本”をどのように見ているかをさぐるためでもあり、米国社会の戦意がどのような常態かを分析するためでもあった。こうして届けられる記録のなかに、株価もあった。米軍が南方要域で作戦を起こすとき、その二、三ヶ月前に缶詰会社と薬品会社の株価が必ず値上がりしている。作戦を始める準備として、兵士の食料としての缶詰とマラリヤの薬を大量に発注しているからである。株価を見るだけで、米軍は新しい作戦を始めるということがわかるのである。しかも、米軍が準備している作戦地域はどこかについても、ある程度はわかっていた。米陸軍、海軍の部隊の編成表や艦艇、航空機などのリストはむろん日本でも平時から収集されている。それを見ながら、今ヨーロッパで戦っているのは、米陸軍のどの部隊だとか、どの海兵隊だとかを、ラジオ放送の傍受記録をもとに推定していた。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

ken********さん

2019/8/2122:34:25

どっちも同じレベルだよ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる