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劉備が帝位についた時、献帝は生きていましたが、劉備は天下を統一したら退位して...

hir********さん

2019/9/1123:49:03

劉備が帝位についた時、献帝は生きていましたが、劉備は天下を統一したら退位して献帝に再び帝位についてもらうつもりだったのでしょうか?

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cwa********さん

2019/9/1212:07:33

それはまずあり得ません。
劉備は皇帝に即位する際、重臣の雍茂と費詩から民心を失いかねないから、と諫言されています。ところが皇帝に即位したい劉備は、雍茂を別の罪で処刑、費詩は失脚させています。

そもそも劉備は、皇帝に即位した際に皇太子を子の劉禅に定めています。つまり、皇統を自分の子孫に継がせる気がもろにある証拠で、献帝に譲るとかは考えられないです。

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te9********さん

2019/9/1208:21:37

そんなことにはならないかな、と思います。

禅譲、というほどではないですけど
献帝が劉備が再興する王朝を認める、
という合意を出させるシナリオで
丸く収めると思います。

反劉備を表明したら争いの火種を潰すべく献帝の排除に動くと思います。

漢晋春秋さん

2019/9/1200:14:13

劉備が帝位に登極したのは「献帝が曹丕に弑された」と伝わっていたからです。弑される、とは臣下の身で主上(皇帝)を殺害することです。
つまり時の皇帝が殺害されて帝位を継ぐ者が不在となったために、劉氏の血を継ぐ者として献帝の跡を継ぐと決めたから劉備は皇帝となったのであり、献帝がまだ生きているのに勝手に皇帝を名乗ったのではないのです。

劉備は登極にあたって先帝劉協に対して「孝愍皇帝」の諡号を贈っており、蜀漢においては献帝は死んだことになっています。後々、献帝生存の情報がもたらされたのかも知れませんが、公式には蜀漢では献帝の生死に関して何らの訂正もなされていません。
ちなみに劉備は「王朝を創建した」わけではなく、亡命政権として王朝の体裁を整えただけです。後世においては蜀漢という個別の王朝として扱われていますが、劉備の王朝の国号はあくまでも「漢」であって、劉備や当時の蜀漢創建の面々にとっては「漢(後漢)の続き」なのです。

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