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「最後の猿の惑星」1973年において、 前作「猿の惑星征服」の終わりで 知恵のあ...

mon********さん

2019/9/1715:53:13

「最後の猿の惑星」1973年において、
前作「猿の惑星征服」の終わりで
知恵のある猿はシーザーだけだったのが、
本作で突然、多くの猿が言葉を使い、武器を使い、

知能が大きく上がり人間を凌いでおります。
そして、シーザーの子供は死亡。
これでは、3作目「新猿の惑星」で
ジーラとコーネリアスが過去の地球に来て子供シーザーを産み、
知恵ある猿の血を残した意味がなくなり、
「猿の惑星」シリーズそのものが不発になっているように感じますが、
この「最後の猿の惑星」は不要だったと思いませんか?

惑星,コーネリアス,サル,ジーラ,シーザー,回答者,蛇足

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5

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ベストアンサーに選ばれた回答

hk8********さん

2019/9/1716:58:43

不要であり蛇足でしょう。

「猿の惑星征服」が「猿の惑星」に
繋がります、と言った方が物語的に
すっきりします。
「最後の猿の惑星」で友情で結ばれた
猿と人間が「猿の惑星」のいがみ合う
世界にどうしてなったのか?
という疑問を1973年に残す事に。

質問した人からのコメント

2019/9/19 15:46:25

ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜4件/4件中

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編集あり2019/9/1806:35:23

はい、思います。( ̄(工) ̄)ノ

理由は、他の回答者さんと同文です。(*・ω・)ノ

見終わった時の虚脱感。。。
過去4作は、何だったのか…?

2019/9/1717:48:18

確かにいらない映画でしたね。今までのシリーズがそれなりに続いていたのに最後の猿の惑星ではどこに繋がっているのかよくわかりませんね。人間と猿が共存してましたし「続・猿の惑星」に出てきたケロイド人間も出てましたしでごちゃ混ぜの感じがしました。しかもどう見ても低予算でしたし、ヒットした「猿の惑星」とタイトルをつけとけばそれなりの収益があるとふんだのでしょうね。おまけみたいな映画でした。

2019/9/1716:17:17

「最後の猿の惑星」で描かれたのは”人間と猿が仲良く暮らす世界”
繰り返してるように見えて、明らかに歴史改変が起こってる。

1作目の主人公タイラーが700年後に到達する地球は、もはや「猿の惑星」では無くなっているという事です。
何故こうなったのか?ジーラとコーネリアスが過去の地球に行った事がその原因としか考えられません。
テーマが「異人種間の闘争」である以上、悲劇で終わるしかなかったはずの物語に「もうひとつの可能性と希望」が生まれたのです。

醜悪な人種差別が現在進行形だった当時のアメリカだからこそ、「最後の猿の惑星」は絶対に必要だった。
人間は希望が無ければ生きていけません。

腱鞘炎さん

2019/9/1715:59:54

元々「猿の惑星」は続編を制作する想定ではなかったから
「続・猿の惑星」から既に不要といえば不要なんだな。
だから「最後の猿の惑星」に関しては完全に蛇足でしかない。

別に面白いからどうでもいいんだけど。

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