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清洲会議について、参加者は「集まった織田家家臣は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉...

net********さん

2019/9/2120:46:40

清洲会議について、参加者は「集まった織田家家臣は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人で」とwikiにあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B4%B2%E4%BC%9A%E8%AD%B0#参加者
前田利家とかって、どうして入っていないのでしょうか。

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a46********さん

2019/9/2412:14:18

柴田勝家の与力(家老)だから。

府中三人衆:佐々成政・前田利家・不破光治
天正3年(1575年)8月、織田信長は越前国に侵攻し、柴田勝家に同国の八郡を与えて北ノ庄城に置いた。このとき、不破光治・佐々成政・前田利家が府中付近の二郡(約10万石)を与えられ、勝家の目付に任命された。これ以降、越前府中に在任していた間の3人を、一般に「府中三人衆」と呼ぶ。
三人衆は、不破光治が龍門寺城、佐々成政が小丸城、前田利家が府中城を居城としたが、当初はそれぞれの支配領域は明確ではなく、総計約10万石の知行を相給されていたと見られている。越前二郡での活動や発給文書などを見ても、ほとんどが3人共同で行われている。


元帥:織田信長
大将:織田信忠、河尻秀隆(副・中将格)
中将:
畿内方面軍:明智光秀、細川忠孝(副)、筒井順慶(副)、中川清秀(副)
四国方面軍:織田信孝、織田近衛軍:丹羽長秀、池田恒興(副)
北陸方面軍:柴田勝家、佐々成政(副)、前田利家(副)、不破光治(副)
関東管領軍:滝川一益
中国方面軍:羽柴秀吉、宇喜多秀家(副)、宮部継潤(副)

質問した人からのコメント

2019/9/25 22:48:12

大変詳しくありがとうございました。
よく分かりました。

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2019/9/2207:29:42

前田利家は、柴田勝家の組下大名ですから、格が一段落ちます。
参加資格がありません。

真田 遼さん

2019/9/2122:31:24

実は清洲会議には誰々が参加したのか正確には分かっていません。
柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興、は太閤記の記述でしたか、
ところが細川三代記にも清洲会議の記述があり、そちらを参考に用いられる事がありますが、
はてさて、密室で行われた清洲会議の内容を何故細川家がしっていて記述しているのか?

2019/9/2122:08:26

一向一揆が反乱して北陸で防戦していた、反乱しなくても前田利家と同格の者は数倍するので、参加できたかどうかは微妙。

cra********さん

2019/9/2121:34:58

前田利家は柴田勝家の寄騎で格下になるから宿老ではない。滝川一益とか川尻秀隆なら資格があったけど滝川は帰って来ないし川尻は戦死したので参加できない。

pwb********さん

2019/9/2120:53:57

会議に参加していなかったからだろうね。

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