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立川談志が生前、志ん生、文楽、圓生、正蔵(彦六)について語っていたけど、談志...

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ID非公開さん

2019/10/1202:03:41

立川談志が生前、志ん生、文楽、圓生、正蔵(彦六)について語っていたけど、談志はこれら4人とリアルで接したり落語を教わったりしたのですか?

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2019/10/1210:57:49

立川談志著『現代落語論』にも書かれていますよ。

稽古をつけてもらったり、志ん生師匠と将棋を指してもらったり、八代目文楽師匠とたくさん話をしてもらったり、『それだけでも噺家になった意義があったとおもう』と書かれていますよ。

他の談志の書いた本にも師匠方との接点はずいぶんと書かれていますよ。

談志の入門の5年後に志ん生師匠が落語協会会長になりました。
談志の真打のときの会長は八代目文楽師匠。

柳家から立川談志という亭号を変えることを積極的に支持して他の幹部の方々を説得したのは八代目正蔵師匠です。

だいぶ志ん生、文楽、圓生、正蔵(彦六)の師匠方には目をかけてもらっていましたよ。

圓生師匠とは、あの落語協会分裂事件は一緒に計画を立てた同志です。

落語界は将来性がある若手には一門が違ってもいろいろと応援してくれる社会です。

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2019/10/18 15:01:26

皆さんありがとうございます

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小雀長吉さん

2019/10/1217:45:28

はい、談志師匠はまず間違いなくこの四人の師匠方に、リアルタイムで、それも落語家として接しています。その証拠に、談志師匠御自身の著書「談志絶倒昭和落語家伝」の中に、志ん生師匠に「大工調べ」の啖呵について「頭領の啖呵は何でも良い。あいつ、啖呵が好きなんだ」と答えた、というエピソードや、談志師匠が国会議員に立候補したときに、黒門町の前を通りかかり、文楽師匠の家の前で、「師匠、談志です。一票お願いします」といったら、文楽師匠が二階から、「よぉーがすよ」と答えた、という話や、圓生師匠の紹介で圓生師匠の噺の中で一番せこいといわれる噺を挙げたら「いけませんよ、そういうことを言って」といいながら圓生師匠が笑っていた、という話、正蔵師匠が、受けようという勘定なしにとろとろ喋っているときは素晴らしかった、という話が書かれています。
おそらく、談志師匠が接した落語家の中で最も古く、当時名人だとか、人気者だとか呼ばれていたのは、初代権太楼師匠と八代目文治師匠ではないでしょうか。

nwa********さん

2019/10/1210:01:06

そうです。談志は戦後派の咄家ですが、これらの人たちから直接稽古を付けてもらいました。若手の成長株でした。

2019/10/1204:42:49

小ゑん時代も含めて、師匠の小さんと同じぐらい、或いはそれ以上に志ん生、文楽、圓生、正蔵との接点は大きかったようですね。

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