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7世紀に起きた壬申の乱は、2万人から3万人を両軍動員したとあったのですが、これは...

はるみちさん

2019/10/1223:52:01

7世紀に起きた壬申の乱は、2万人から3万人を両軍動員したとあったのですが、これは古代日本の人口を考えればかなりの数ですか?

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ポアロさん

2019/10/1300:14:48

かなりの数ですよ。そして動員の詳細がかなり分っているのが、とてつもなく特異ですね。優勢になると次々寝返って来るという流動的な合戦(日本の戦いは基本みなこういう流れ)で、壬申の乱ほど動きが分かっている戦いは少ないです。
二万の軍勢を村国連男依と紀臣阿閇麻呂が一万づつ分けて進軍したなど文献が残っています。

これに比べれば、千年あとの「川中島の合戦」なんて、ほとんど実態が分っていません。関ヶ原もまたそうです。
歴史って古いから不鮮明。新しいほど明瞭。という訳ではないんですね。

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天網糸さん

2019/10/1309:44:35

当時の日本の人口推計は400~500万人。
関ヶ原の戦いの辺りの人口が1,200万人くらいと推定されおり、両軍とも10万近い兵力を集結させているので、人口比で云えば関ケ原並みの規模ということになる。

壬申の乱は、天智の死後半年後に大海人が吉野を出て始まることになるが、その間の大海人側の工作が大津側を圧倒していたということだろうか。
元々大海人側とみられていた美濃勢が早期に決起して東国を抑えることに成功し、西国で大兵を抱えていた北九州・吉備勢は兵を動かさなかった。

関ケ原の家康も、小早川の裏切り工作や毛利勢が参陣しても戦いには加わらないよう工作しておいたことが勝因となっている。
戦いは戦場で決着がつく。しかし決着は、彼我の強み弱みを研究したうえで、より怠りなく準備した側に神がほほ笑む。ということだろうか。

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