聖書には人は行いに応じて裁かれると書いてありますが、ということは人間はクリスチャンになったら完全でなくてはならないのでしょうか? 例えばクリスチャンになったのに完全になる前に死んだ

聖書には人は行いに応じて裁かれると書いてありますが、ということは人間はクリスチャンになったら完全でなくてはならないのでしょうか? 例えばクリスチャンになったのに完全になる前に死んだ とする、まだ勝利していない罪があります、その人は裁かれますか?

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マタイ5:48 だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。 こう書かれている以上、そう努めないといけません(クリスチャンにならなくても)。 マタイ5:13~20 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。 旧約時代は「自力」で律法を守らないと「義」とみなされなかった(*実際はアブラハムのように「信仰によって義」とされる者もいた)のですが、 「キリストの十字架の贖い」が完了した後は、聖霊様が全ての信者ひとりひとりの心に住んでくれるようになったので、「自力」ではなく、「聖霊様の助け」によって、律法を行う力が与えられるようになりました。 ガラテヤ5:16~26 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。 肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。 Ⅱコリント3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 クリスチャンは地上で生きている間は、信仰によって成長して行きます(聖化)。そしてキリストが再臨される時に、完全な者とされるのです(栄化)。 それで結局、クリスチャンが裁かれるのは、地上で過ごした時の「忠実さ」によります。 マタイ25:14~30 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラントもうけた。ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、地を掘って、その主人の金を隠した。 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算をした。すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラントもうけました。』その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』 ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることを知っていたというのか。だったら、おまえはその私の金を、銀行に預けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息がついて返してもらえたのだ。だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

忙しい中ありがとうございます。 またリバイバル連盟のことについても色々教えていただき、感謝します! 私もこらから信仰と義によって生きるクリスチャンでありたいと思います。m(_ _)m

お礼日時:2019/11/18 22:07

その他の回答(4件)

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誰かに裁かれたり地獄に落ちたり 私達は大変だなぁ 本当にイエスやブッダが言ったのか疑問に思う 裁くのは自分ではないのかな?

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「クリスチャン」じたい人が分けた言葉ですからね。「クリスチャンが救われる」とは間違った考えと言えます。 しかし、クリスチャンが本当に「キリストに倣う者」とするなら、一概に間違いては無いの無いかも… そして「完全」「不完全」の議論ですが…完全に限りなく近付けても、御国へ行くまでは、「完全」にはならない…事を考えると、皆んな救われない? いいえ!完全としてくれる方が居ます。「見なし完全」です。信仰で「見なし完全」とされれば問題無いんです。 此の「不完全」故に、クリスチャンも間違いを犯してしまうので、未信者から非難を受ける事になってしまいます。

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>クリスチャンになったら完全でなくてはならないのでしょうか? 完全(聖)を目指すべきです。 『召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。』 ペトロの手紙一 1:15 新共同訳 (一例) >裁かれますか? 裁かれる(申し開きをさせられる)と思いますが、横に弁護者が付きます。 『わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。 たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。』 ヨハネの手紙一 2:1 新共同訳

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