「四面皆楚歌す」についてです。 なぜ項王(項羽)は まわりの人々が楚の歌を歌ったことに 驚いて、自分はもう終わりだと思ったのですか? 漢の歌を歌われたのなら まわりが敵だらけだか

歴史 | 文学、古典485閲覧

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

あ…! この日本語訳をいままで見ていなかったので わからなかったのですが あの文は 漢軍に楚人が多いという意味だったのですね…! やっとすっきりしました…! ありがとうございます…!

お礼日時:2019/12/7 22:33

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四面楚歌の逸話は史実か長い間、 確定してなかったが最近、中華で 垓下の戦の舞台とされる垓下城の 遺跡が発見、発掘調査されて 、この城は規模が大きく攻防戦が 長く続けられるような城塞だったと される。項羽は、しかし垓下城で 長期籠城せず打って出て討ち死に 少数の手勢は全員、戦死したと いうのは、やはり籠城しても 援軍が全く期待できないので 絶望し城から出て最期の戦を 選んだ、それは四面楚歌の ような自分の最期を悟るような 出来事が、あったのではないか。

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(TωT)自分の部下が、自分からはなれていき、自分が偉い人だと思ってたが、人望が無い自分を認めないといけなくなって偉い人ではない事を敵陣から聞こえてくる四面楚歌で、さとらされたのさぁぁ (ФωФ)落ち目の芸能人から、人が離れていって自分の持ち歌を若いアイドルに歌われて、自分が過去の人にされてしまうような感じやないんかぁぁ?

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周りが敵だらけなのは、既にわかっていることです。 その上「楚の人間がどんどん漢に降っている」ということに対して、驚いたのです。四面楚歌についての発言は「これなんぞ楚人の多きや」(なんと楚人の多い事よ)と結ばれていますよね。これはつまり、楚の人間が漢に合流して、自分を追い詰めている、ということを意味します。古代中国は、現代以上に地方ごとの言語差が大きかったので、味方がどんどん敵に回っている、と思ってしまうことになったのでしょう。

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味方だと思っていた同郷の人々が戦闘への参加を拒否しているならともかく、自分を積極的に攻めている中に多くいたことにショックを受けたのでしょう。 川を渡って再起を図っても巻き返すのは無理だと最終的に判断したのではないでしょうか。