リットン調査団の調査後、国際社会は「満州国を国として認めない」としましたが、松岡洋右はそれでなんで国際連盟を脱退したんですか?なんで、国際社会の言うことを聞かなかったんですか?

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いろいろ理由はあるのですが、最初の問題は満州国を承認してしまったことです。 といってもわかりにくいと思いますが、もともと満州事変も満州国の建国も関東軍の工作であって政府が主導したわけではありません。 じっさい犬養内閣は満州国の承認を拒否していたのですが、5.15事件で暗殺されてしまいます。後を継いだ斉藤内閣は陸軍に抵抗できず9月15日に満州国を承認してしまいました。 翌10月にリットン調査団報告が提出されましたが、その内容は日本の満州における権益や優先的地位を認め、治安維持や満州運営に日本を主体的に参加させるというもので、かなり日本に譲歩するものとなっていました。 しかし満州国については認められていません。本来なら実態として満州統治が日本主体でやれるなら国の形をとる必要もなくどうでもいいことなのですが、すでに軍の圧力に屈して政府は満州国を承認してしまいました。 これを反故にすることもできないし、そもそも政府は統帥権の問題から軍に命令できませんから、満州国を解体することもできません。どうにもならない。 結局政府はリットン調査団提言を受け入れないと通告し、日本が有利な形で問題を解決する機会を放棄してしまいました。 そして松岡ですが、こちらはもともと満州国へのこだわりなどなく、リットン調査団提言を受け入れ、中国にもいくらか妥協して、問題を解決するべきだとしていました。 が、ここで熱河作戦が実施されます。 この作戦は日本と国際社会を決定的に断裂させる最初の一撃でした。熱河省は満州と華北をつなぐ回廊で、ここへの日本軍の侵攻は、華北の欧米利権を直接に脅かします。 満州だけなら大事にしないで納めようとした諸国も、これは看過できませんでした。もともと国際社会を敵に回すのが明白だとして昭和天皇が反対していたにもかかわらず実施された作戦なので、これで国際社会の態度が硬化するのは当然のことでしかありません。 2月24日には日本に対する新たな連盟勧告が出されますが、こちらは日本に厳しい内容となりました。日本はこの勧告を拒否しますが、これにより連盟規約に従って日本に対する制裁が発動される可能性が出てきました。 この制裁を回避する方法が脱退だったんです。 連盟規約による制裁は連盟加盟国が対象だったので、脱退してしまえば制裁を受けることもない。外務省の考えだったと言われていますが、日本を決定的に孤立化させることとなりました。

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それまでさんざん欧米が植民地を獲得してきたのに、どうして日本が満州を手に入れたら文句をいわれるんだ、という理屈です。すでに時代が変わってたのに、昔の常識で侵略できると思ってしまったのが破滅の始まりでしたね。このガラパゴスっぷりが日本のお国柄なのかな。飛躍する時も破滅する時もとことん行きます。

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国際連盟はロシア・イギリス・アメリカの共同統治を提案しました。要するに植民地支配は認めるが、黄色い猿には、任せられないと言う事です。 それでは、反共の砦、安全保障、アメリカから締め出された移民の引き取り先、資源の輸入先、市場の確保すべて不可能になります。