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新約聖書の著者はイエス・キリストですか?キリスト教団ですか?

ued********さん

2020/1/1405:39:06

新約聖書の著者はイエス・キリストですか?キリスト教団ですか?

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さわっちさん

2020/1/1421:33:01

新約聖書はイエス・キリストのことが書かれていますが、イエス・キリストが書いたわけではないです。

新約聖書の著者は、キリスト教団という明確なものがなかった時代の、初期のキリスト教徒たちです。

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o_r********さん

2020/1/1619:00:36

結論から申しますと、新約聖書に著者はおりません。編集者は初期キリスト教(の主流派……のちの正統派)です。
その点はぜひ、上村静さんが書かれた『旧約聖書と新約聖書』(新教出版社)を読んでみてください。新約聖書というものが「正典」として諸文書が結集されるにおいては、いかに偏った考えにもとづいてなされたかを知ることができます。
とにかく正統主義なんかろくなもんじゃねえ…ってことはキリスト教の歴史を知ることによって最もリアルに知ることができるのです。
聖書は1冊の本としてひとりの著者によって書き下ろされたものではございません。従って新約聖書にせよ旧約聖書にせよ、編集者はおりますが著者はおりません。編集された素材は口伝です。伝承を編集して成立した文書と、さらにそれを編集した文書……旧約聖書においてはじつに長い期間を通して編集された文書などによって構成されています。
一部の人は聖書の著者を神さまだって言うし、もっとおかしな人はキリストさまだって主張しますが、歴史的にはあり得ない妄言です。
新約聖書に収められている文書で早い7通ほどのパウロの手紙の記者は当然、使徒パウロであり、続く福音書の記者は4人おりますが、どうやらイエスの弟子なんかではないらしいです。
あと、パウロの名を語った手紙とかがありますが、その記者なんかもパウロや福音書記者なんかと比べたらおかしなところがあるし、ヤコブ書とかヨハネの黙示録なんかは宗教改革者のマルティン・ルターにとっては正典にふさわしくない文書だったのです。実際、読んでみるとおかしなところはいくらでもあります。
だから結果的にはキリスト教の正典としての新約聖書に入っている文書、そしてその記者も、決して聖人のように見るべきではありません。正典入りの基準は「正統」的であったとしても「正当」だとは必ずしも言えません。その内容から推して知るべしです。

dol********さん

2020/1/1422:18:54

新約聖書の文書は、生前のイエスのことは全く知らないパウロの7つの真筆書簡以外はマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネなど使徒の名は被せてありますが、それは偽りであり作者不明の偽文書です。



そして、パウロを含めた福音書の著者達はイエスに会ったコトも無ければ、史実に忠実なイエスの伝記を書こうとしたものでもない。

彼等は「イエスがキリストである」を創作し主張するために、それぞれの福音書を書き上げたのです。

新約聖書として編纂したのはキリスト教団です。


20世紀ドイツにおける代表的な新約聖書学者ルドルフ・カール・ブルトマン
新約聖書の性格はむしろ歴史的なものではなく、イエスをキリストとして伝えるケリュグマ(宣教)にあるという結論を導きだした。
「そもそも福音記者たちに「史的イエス」に関する興味はほとんどなかった。」と結論している。


新約聖書bible(本)が編纂された時代「手紙や福音」というキリスト教文章は非常に多く出回っており、その中から教会が教会の信仰に都合の良いものを選びました。
敵対者と考えられる者を,破門し、殺すことによって「訴えられた事柄」に勝利しようとつきすすんでいく集団やその活動については、連中の申告書がどんなに崇高なものであろうと疑惑の目を向けなければならないのは明らかです。

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旧約聖書と新約聖書 上村静 p50 聖書正典は「信仰の基準」とされているが、そもそも聖書正典化プロセスを振り返りならば、このような言説に根拠のないことは明らかであり。 新約諸文書の選定基準は(真理」または「信仰」デアッタ。(エイレナイオス、トルトゥレアヌヌ)すなわち、信仰が聖書に基づいているのではなく、聖書が信仰に基づいて選ばれたのである。 その際の「信仰」とは、自らを一方的に「正当」であると任ずる者が「異端」を排斥するために「聖書」の「外」から持ち込んだものである。 「正統」と「異端」とは歴史の勝者と敗者のことであり、「正統派」は政治権力にうまくすり寄っていったがゆえに、歴史の勝者、すなわち「正統」になった「正典」とは 、「正統派」を正統化するために「使徒的」なる権威づけであり、教会内分派を「異端」とし、「異端」を「外典」として排除する政治暴力の結果なのだる 原罪の形に夏たのは4世紀ごろでしょう。

新進気鋭の聖書学者である上村 静 新約聖書と旧約聖書 p192

イエスは「神の子」であるとか「神」そのもである、などと思い込まされていることが多い。中略・・イエスの死後弟子たちは「イエスがキリストである」という●「神話」を作り上げ、ユダヤ教の一セクトを形成した。それがその後の展開の中でユダヤ教から分離した結果、キリスト教になったのである。

歴史のイエス。

●研究者たちの歴史的イエス像もバラ・バラバラであり定説はない●

●バートン・L・マック

イエスは犬儒派的な教師として想像されるが、その具体的な行動や生涯はあきらかにされてはいない。イエスに関する奇跡物語、十字架による殉教物語と復活、12弟子の概念は各種サークルの中での神話創造過程として解説され、実際の歴史とは別に創作されたフィクションである事を示唆している。


●イエスという男 田川建三「イエスという男はほとんど神について語っていないと考えている。」

●そして、歴史研究家からは革命家のイエス像がたびたび提唱されてきます。

イギリスの宗教史研究者S. G. F.ブランドン(英語版)(S. G. F. Brandon)は1967年に"Jesus and the Zealots , A study of the political Factor in Premitive Christianity "(邦題『イエスとゼーロータイ — 原始キリスト教における政治的要素に関する研究』)を著しています。

歴史家 土井正興は『イエス・キリスト — その歴史的追究』(三一書房、1966年)を著している。専修大学教授
土井のイエス像は、当時、不浄なものとして差別され、虐げられていた「アム・ハ・アレツ」(「地の民」)と共に立ち、かれらを宗教的に救済しようとするいっぽうで、ゼーロータイ的な政治革命への志向性をも有し、その両者を統合しようとするが、有効な革命理論の定立と行動の組織化に破綻を来したため、イエスはみずからの運動に挫折した、というものである。


●「レザー アスラン 宗教史研究者 カリフォルニア大学リバーサイド校創作学教授。

救世主(キリスト)としてのイエスは実在しなかった。いたのは、暴力で秩序転覆を図った革命家(ゼロット)としてのイエスだった。
歴史上のイエスは革命家というかテロリストで、それを継いだ初期の教団設立者がキリストに仕立て上げていった

イエスの職業は、大工もしくは建設労働者を意味する『テクトーン』だったという。これが事実だとすると、イエスは職人、もしくは日雇労働者だったわけで、 1世紀のパレスチナの無学者の中では、貧窮者、物乞い、奴隷よりいくらかましな最下層階級に属していたのではないかと思われる。


●ジョエル・カーマイケル
、イエスはみずから「ユダヤ人の王」としてローマの支配体制に抵抗し、最終的には武力革命の興起を試みた結果、当時のアンチローマ・ラディカリストである「ゼーロータイ」(熱心党)の1人として、ローマ帝国の派遣したユダヤ総督によって磔刑に処せられた、という解釈を施している




確かなものは無いです。



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キリスト教は先行する宗教のイメージを寄せ集めている。
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●福音書のイエス像は古代宗教の神話の焼き直しという説もあります。



あらゆる新興宗教と同じようにと同様に、お手本となる先行宗教を土台に創作したのでしょう。

●カイサリアの司教であった、キリスト教の土台作りに参加したエウセビオスは、教会史の中で、新約聖書の福音書は、実はエッセネ派が著した古い劇的な文書であったと述べている。エウセビオスは、エジプトにいたテラぺウタイについて次のように述べている「これら古代のテラぺウタイはキリスト教徒であり、その文章がわれらの福音書と使徒書簡であった」

●●2世紀の弁証家、歴史家ユスティヌスでさえ、確かに、古代人の間で伝えられていたことの何もかもが「今ではキリスト教徒のものになっている!」とみとめている。

コンスタンチヌスは、キリスト教徒の教父なる神と、より多くの崇拝を集めるミトラ(太陽神)を崇拝することによって帝国を更なる統合に導こうとしていた。

カトリック百科事典によれば、ローマ教皇レオ1世(在位440-462)教皇在位中多くのおキリスト教徒がローマのサンピエトオロ大聖堂表階段に立って「太陽に敬礼と祈り」を捧げるのを習慣としていたと証言している。 キリスト神話p70


S・アチャリアは『神の太陽』(2004)のなかで、当時 キリスト教徒と呼ばれていた人々は、セラピス神を崇拝していたと述べている。セラピス信仰は紀元前3世紀には成立していたシンクレティズム(習合)的な宗 教である。セラピスはエジプトのオシリスの化身であり、オシリスはイエス・キリストのずっと前からクレストゥスと呼ばれていた。

「先取された盗作」を口 にさえして、キリスト教会が承認する何世紀も前に、悪魔が我々の儀式、教議を盗んだと非難し、自作の盗作の証拠を消し去るために、、異教の全記録をできる 限 り破壊したのであった。初期キリスト教の強力なライバルだったミトラ教に関する書物は全て破棄された。ローマのアポロン神殿付属図書館は火を放たれ、焼失 した。古典学者サー・ギルバート・マレー


古代では、死後三日後に復活するのは神の条件のようなものだったのですから。


宗教に深入りした、イエスの弟子たちが、これに宗教的意味を付け加えて言いふらすのはごく自然なことです。


復活の話はバール神にもあるしエジプト神話にもあります。
古代オリエント全域で信仰された。12月24日は
バール神の冬至の大祭であり、バールは死後3日で復活する。



ペルシャのミトラ 死後3日で復活・ギリシャのアティス 死後3日で復活・ホルス3日後に復活イエス神格化の過程でそうした類型に沿ったものとしてイエス像を創作したのでしょう。



エジプト神話からも多くを模倣しているようです。
BC3000年頃、ホルスが処女イシスから飼い葉桶の中に生まれたのも12月25日だった。彼の誕生は東方の星によって宣言された。ホルスは12歳のとき 神殿のなかで教え、またのちに頭部を切断されるアヌプからエリダヌス川で洗礼を受けた。ホルスは水上を歩くなどの奇跡を見せた。
6..ラザロを蘇らせた記事
死者の復活はエジプト宗教に原型があるのではないでしょうか?

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grcnntf0qrさん

2020/1/1422:16:58

新約聖書の中で著者がわかっているものは
全てパウロのもので
・テサロニケ
・ガラテヤ
・コリント
・フィレモン
・フィリピ
・ローマ(遺言として)
・コロサイ(遺言)
・エフェソ(遺言)
です。
その他は著者は不明です。
パウロの弟子とかパウロの弟子の弟子とか
イエスの弟子の弟子とか
イエスの弟子の弟子の弟子とか
弟子の弟子の弟子の弟子・・・
が書いたものと言われてます。
新約聖書はイエス死後
20年ほど経ってから書かれ始め
130年ほど経ってから書かれたものが最後です。

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2020/1/1417:50:43

聖書は(原典において)全て誤りなき「神の御言葉」です。

唯一誠の神様が、信者を用いて、筆記させました。

「イエス・キリストによる救いの知らせ(福音)」
http://inochinomizu.hatenablog.com/entry/2017/07/01/113257

kas********さん

編集あり2020/1/1412:07:14

元々存在した書物の中から27書をチョイスして纏めたのが新約聖書。
個々の著者はとりあえず断定されているが、本当かどうかは不明。

日本でいえば万葉集や古今和歌集の様なもの。

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