ここから本文です

鎌倉幕府成立から明治維新までの武家政権時代の日本で、その支配力が日本の隅々ま...

日下道雄さん

2020/1/2108:24:29

鎌倉幕府成立から明治維新までの武家政権時代の日本で、その支配力が日本の隅々まで行き渡るようになったのは豊臣秀吉からでしょうか?

鎌倉幕府や室町幕府でも隅々まで支配できていましたか?

閲覧数:
22
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

jet********さん

2020/1/2217:06:30

“当時意識された日本の国土全体”という意味なら、秀吉からですね。

鎌倉幕府は東国武家政権で、関東や東北地方を関東御分国として支配するもので、日本全体の統治者は天皇・朝廷であると、幕府は認識していました。

また室町幕府は、論外。
“守護領国制”によって日本を支配する、守護大名連合政府みたいなモノですもんね。

さて何故秀吉かというと、浅野長政に宛てた検地の徹底を命ずる書状に、キーワードが!
北条氏を滅ぼし統一を達成する秀吉は、その書状で検地を拒否するものには
「一郷も二郷もことごとく撫で切りつかまつるべく」
と恐ろしい迄の言葉を記し、その後に
「山の奥、海は櫓櫂のつづき候まで」
と、山奥から遠方の離れ小島まで、“隅々まで”念を入れて行えと命令するのです。

ただ秀吉の時点から、松平定信の時代までは、蝦夷地の大部分は“日本域という意識”ではありません。

なので、ロシア船の接近に憂慮した(蝦夷地や千島列島の先取)田沼意次は、蝦夷地探検隊を派遣するのです。

そして政権が定信に移ると、彼は蝦夷地直轄化を推進します。

1799(寛政11)年に東蝦夷地、1807(文化4)年に西蝦夷地を天領とし、その2年後にカラフトを北蝦夷地と定め、東北諸藩に警備のための出兵を命ずるのです。

そんなんで、“支配力が<現在の>日本の隅々まで行き渡るようになった”のは(除く、樺太)、江戸時代の後半の、定信以降となるのです。

なお武家政権を終了させた明治政府は、対外条約等で国境を定めますが、これは“国民国家”の持つ、“主権の及ぶ範囲”を堪忍・確定させたモノ(ロシアには譲歩していますが・・・)です。

現在の日本の範囲(含む、北海道)という意味では、上の定信の頃(企画は定信で、実施は彼の失脚後)となります。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

プロフィール画像

カテゴリマスター

qta********さん

2020/1/2112:40:49

北海道の隅まで日本の支配下になったのは、明治以降です。

あわせて知りたい

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる