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クラシック音楽の芸術性、について 芸術音楽といって真っ先に連想するのがク...

yan********さん

2020/2/1307:58:14

クラシック音楽の芸術性、について


芸術音楽といって真っ先に連想するのがクラシック音楽です。なぜなら、大作曲家は常に、多くの人がすでに美、快楽、と認めた音楽を超えようとし、自分だ

けしか気付いていない美で、世に影響を与え、美と認めさせ、不快を快楽にしてやろう! という気迫があるからです。

対して、商業音楽は、すでに大衆が快楽と感じるのものを再構築しただけ、二番煎じ、運良くヒットしてカネになれば良し、という陳腐さを感じます。

しかし、今の時代はどうでしょうか?

クラシック音楽と言えば、過去の偉業を称え、上手さを競うだけ。超絶に上手い奏者から偶発的に滲む個性を讃えている内輪行事。革新的現代音楽はクラシックファンの感心の外。

それなら、ポップスにおける新しいサウンド、シュールな歌詞、吹奏楽部員による思い付きダンス、のほうがよっぽど芸術的だと思います。


質問

クラシック音楽がかつて偉大な芸術だったとは感じます。しかし、今の時代においては、どのへんが芸術なのですか?

あいかわらず金持ちが大金をぶっこんで、競争心で芸大やコンクールを競う、それを、高尚、崇高、選民的、と思うことですか?

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jen********さん

2020/2/1519:18:57

生演奏ですよ。レコードやCDでかつての名盤や名演奏は聴けても
たった今、演奏される音、つまり生音は超えられません。
フルトヴェングラーが言ってたように、生で演奏されるものことこそが真の芸術です。彼は「レコード屋ラジオから蔓延るようになったあのはき違え」と言いました。

質問した人からのコメント

2020/2/19 20:32:57

御回答ありがとうございました!

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tom********さん

2020/2/1415:33:26

そもそも芸術とは何か?という所まで話が発展するとは思いますが。少なくとも「残っている」という点に大きな価値があると思います。
そもそも芸術というのは、「良いものほど長く残る」です。音楽の作品然り、美術品や骨董品然り、文学然り。「本当に良いものだからこそ、時間を越えて親しまれ、愛され続けるもの」かと思います。

かつて偉大だったものが今は偉大でないのならば、それは所詮その程度の価値というだけの話です。

芸術作品より、資本主義社会・経済至上主義社会のほうが若いです。今でこそ「価値=カネ」であり、音楽や娯楽も全てそれが基準となってしまっていますが。そうなる前の社会から、芸術作品は存在していました。
久石さんは自身の著書の中で「芸術と資本主義は相容れない」とハッキリ書いています。金儲けを目指す現代の社会構造では、そもそも芸術は生きていけない。

競争は芸術の本質ではありません。より良い芸術家を輩出するために競争は必要不可欠だとは思いますが、芸術に触れる人が競争を楽しんでいるわけではありません。

「選民」というと嫌らしいですが、一定程度は必要かと思います。文学も美術も音楽も、そもそも全ての人間に理解できるほど生温いものではありません。
ただし「選民思想」もまた、それが本質ではありません。「理解できる人が少なければ少ないほど高尚な芸術作品だ」という訳の分からない誤解が止まらなくなった失敗作が、現代音楽の成れの果てかと思っています。

2020/2/1317:44:47

近代までのクラシック音楽は、もともと純音楽として作られた作品もありますが、現代のリスナーにとってはほとんど世俗音楽あるいは商業音楽と同等になっているのが実情です。わかりやすくいうと、エンタメになっているのです。ですから再現芸術からは遠くなっています。
こんなことは20年以上前にとっくにアーノンクールなどが指摘していて、エンタメ化しつつ衰退への道をたどる西欧のクラシック音楽界を憂いていました。
ただ、音楽が芸術になったのもたかだか200年くらい前の話なわけで、それ以前は上流階級の嗜みであったり(楽しみとは違う。音楽はあくまでも教養だった)、神様への捧げものだったわけで、オペラの登場とともに民衆が楽しむエンタメへと変容し、ベートーヴェンの登場で芸術としての音楽が隆盛を迎え、戦争があれば戦意高揚や反戦運動の道具になる、といった具合で時代や社会の変化とともに音楽のありようも変化していくのです。諸行無常ですね。
この変容を受け入れない人間は、残念ながら老害の一言で切り捨てられてしまうのでした。
以上、変容を続ける現場からお伝えしました。

mas********さん

2020/2/1317:38:56

音楽がどういうジャンルにいるかは、創作してる本人、発売者、聴取者、評論家とさまざまの立場で一致しないことはよくあります。

ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞したことは驚きでした。ディランはフォークシンガーであって文学者じゃないからです。しかも彼の音楽は芸術音楽じゃありません。といって商業音楽でもない。売れるために大衆に媚を売った作品ではありません。芸術か?商業か?の二択に入らない音楽です。

しかしスウェーデンアカデミーはディランの詩を文学と評価して村上春樹が長編小説を何度書いても受賞できないノーベル文学賞を与えました。ギターいっちょで歌うたった数分の歌が芸術になったのです。

なので、かつて芸術だったクラシック音楽も現代では商業音楽になる可能性があるのです。というか、利用の仕方ではないでしょうか?ヒトラーがナチス軍を鼓舞するためにワーグナーの楽曲を利用しましたが、手段として安いトランペットでヘタクソが吹いてるプロ野球応援団とあんま変わりません。そう言うとクラシックファンの批判を浴びそうですがw

しかし毎日、四面楚歌になりそうな質問をよく思いつきますね。ひょっとしてマゾ体質ですか?w

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pie********さん

2020/2/1314:37:25

温故知新という言葉があります。
どんなに斬新な芸術であろうと先人たちの努力の上に構築されます。12音技法だってミュージックコンクレートだって、俗に言うクラシックが基本になっています。もちろん現代の商業音楽だって例外ではありません。
世の大作曲家だって、商業目的の作品は多いですし、たまたまた身近に名人がいたからこの曲ができた、なんてこともあるでしょう。
純粋に芸術的であろうが商業目的であろうが、それを素敵な曲だと思う人が多ければ流行るし、古くさいと思えば廃れていきます。
現代において所謂クラシック音楽が古くさいと思っている人と、あれこそが芸術と思っている人、どちらも多数いると思いますし、同一人物に同居していることも考えられます。
つまり、クラシックであろうがポップスであろうが、それを芸術だと思う人にとっての芸術である、芸術はそれを受ける人が決めるもの、と思っています。
どんなに古くさくても邦楽(純粋な意味で)はなくならないし、もちろんショパンもなくならない。ショパンを越える人が出てきてもショパンはなくならないと信じています。
すべての芸術は、それを享受する人が認めればいいのです。

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deo********さん

2020/2/1312:33:07

そもそもこの質問の
「クラシック音楽の芸術性」
とは
作品の芸術性でしょうか?
演奏する事の芸術性でしょうか?

作品自体にはいつの時代になっても
芸術性は損われないのでは?

ポップスにおける新しいサウンドに芸術性を感じるのなら
ポップスは物によって
芸術音楽でもあり商業音楽でもあると言えますね。

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