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シベリア抑留について。

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ID非公開さん

2020/5/1523:32:19

シベリア抑留について。

数年前、祖父が亡くなりました。聞くところによると終戦後、シベリアに3年間抑留されていたそうです。
祖父は存命中は昔の事をあまり語りたがりませんでした。
最近色々と戦争の事を調べる機会があり、祖父の事を知りたいと思いました。

父に祖父の事を聞いてみても詳しい事は解りませんでした。
わかった情報は昭和17年もしくは18年召集、石川県在住だったが編成地は金沢ではなく、新潟だった。(理由は解りません)
千島列島の守備についていて、機関砲を担当していた。終戦後、ソ連の捕虜になることを拒み武装解除しなかったが、軍の偉い人が現地まで行って武装解除させた。
抑留中の発破作業で片耳が不自由になった。

祖父はどの島を守備し、どのような経緯を辿っていったのでしょうか?
情報が少ないですが詳し方がいましたら教えて下さい。

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syu********さん

2020/5/1600:57:50

昭和18年の招集でしたらキスカ島の撤退作戦とは無縁でしょう

千島で陸軍部隊が配属されて、20年の8月に戦闘が起きたのは、幌筵島か占守島です。
この北端の二島には、飛行場と缶詰工場、部隊の駐屯に適する平地があり、なにより、カムチャッカ半島に近いので、重要な防衛拠点でした。
海軍の重要な泊地もありました。


戦闘の経過は、
●防衛省の「戦史叢書」
「 第44巻 北東方面陸軍作戦<2>千島・樺太・北海道の防衛」に概要が載っています。
ネットでも読めます(縦書きで 読みにくいですが)

●小説仕立てでいいのでしたら
浅田次郎著の「終わらざる夏」下巻、集英社文庫 の七章八章が 具体的です。

もう戦友会はないでしょうし 厚生労働省は遺族年金の事務だけですので、こういった、文書を 大きな図書館で探してみてください。


シベリア抑留について詳しくを、家族にも語られなかったのは、捕虜の日本兵が互いに憎しみ合った、争って 自殺に追い込むような事件が多々あったからではないか、と推察します。

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    質問者

    ID非公開さん

    2020/5/1608:54:46

    ご回答ありがとうございます。自分が小さな頃の記憶ですが戦闘経験があるような事を言っていました。占守島は最近本など出ており、戦車隊以外は旭川で編成された部隊というイメージがありました。他に幌筵島でも戦闘があったのですね。
    詳細な情報ありがとうございました。

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猫爺さんさん

2020/5/1600:06:22

その質問だけではわかりませんが、日本遺族会や新潟県遺族会とか石川県遺族会、関係の深い厚労省に問い合わせてみれば手掛かりがわかるかも知れません。

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qlc********さん

2020/5/1523:49:22

情報が少ないというよりは、何をお尋ねになりたいのか、今一つ解りません。
一つ言える事は、兵役は日本中様々な場所で行われておりましたので、配属先が変わったのでは無いでしょうか?

お祖母様からは話は伺わなかったのでしょうか?
戦中戦後の事に関しては、比較的に男性よりは女性の方が敗北感が少ないのか、詳しく語り継ぎますよ?

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