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征韓論が盛んになった頃に士族が持っていた不満とはなんですか?

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ID非公開さん

2020/5/2410:07:25

征韓論が盛んになった頃に士族が持っていた不満とはなんですか?

新政府で活躍する人と自分たちの境遇の格差にどう思っていたのですか?
教えていただきたいです。

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kom********さん

2020/5/2410:31:00

新政府でやがて総理大臣になった伊藤博文さんは、元々の生まれは極貧農家の長男であったが、父親が長州藩の中間(侍では無く、木刀のみ携帯が許され、長期雇用では無く、転々と奉公先を変えるパートタイムワーカー)の養子となり、その中間が足軽(或る程度の有期雇用となるアルバイト)の養子になったため、博文も足軽にはなったが、足軽もまた大小2本の刀の携行を許されたとは謂えども、正規の武士とは扱われない位置づけであった(戦時には百姓が召集されて足軽になった。その中間とか足軽から有能者を取り立てた、「能力主義」を採用した長州藩がエラい)。
その様な事情で、「中間風情が華族(公爵)?、総理大臣?」と、明治維新で失業し、無収入となった旧士族が反感を覚えたのは、極めて自然なことであったと思います。
(伊藤博文さんについて)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87

sin********さん

2020/5/2410:31:10

士族は間もなく廃止になります。

そこで各地で反乱が起きた。

aki********さん

2020/5/2411:20:14

いわゆる士農工商の身分制度を廃止して、
四民平等(と言いつつ華族、士族と言う新しい身分を作りましたけどね)にしました。

そこで、秩禄処分により収入の道が閉ざされ、
廃刀令など身分的特権もなくなりました。


「明治維新」は武士階級が中心となって推し進めていたのに、
いざ明治の世になると、士族が無用の長物と化してしまいました。
苦労して維新を成し遂げた結果が、
自分たちの経済的よりどころばかりでなく、存在意義そのものが否定されてしまったわけです。

やさぐれてしまうのもムベなるかなと言うところです。

そうして不満を募らせた士族のガス抜きと、
欧米列強の中国大陸進出に乗り遅れまいという一石二鳥を狙って、
また、朝鮮を開国させようとしたのに拒否をされたメンツの回復のために
征韓論が「トレンド入り」となりました。

で、
岩倉具視らが欧米視察に行っている間に、
留守政府が「征韓」の方針を決めたのですが、

帰国した岩倉らによる反対で、「征韓」はボツになりました。
欧米の力を目の当たりにした岩倉らは、欧米と正面からぶつかれば日本の存立そのものが危ないとの危機感を持っていたからです。

最終的に、
明六政変で西郷隆盛らが下野をし、
不平士族をの反乱が始まることになりました。
その最大のものが「西南戦争」です。

一方で、武力蜂起に賛同できない面々は、
自由民権運動へと傾倒していくことになります。

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