『麒麟がくる』の趣旨はつまりこういうことでしょうか。
『麒麟がくる』の趣旨はつまりこういうことでしょうか。 ・皆、民を慈しむ仁のある政治を望む ・織田信長が「天下布武」のもと、比叡山焼き討ちや、一向一揆の殲滅を敢行 ・光秀が信長の厳しい姿勢に仁を見出せず、「これでは麒麟が来られない」と本能寺の変を決行 ・光秀は秀吉も仁者とは思えず、山崎の戦いで決戦するが敗れ、天海となり家康の覇権に貢献
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ベストアンサー
麒麟がくる では「天下布武では無く、天下静謐」という認識で作られているようです。 即ち、従来革命児とされてきた信長では無く、室町幕府のもとでの平和を目指す復古主義の信長ですね。 復古主義の信長に対する革命児としての役割を持たせるため、松永久秀にスポットを当てているようです。 「平和主義者信長」を描くため、比叡山焼き討ち等も「無かった」という方向に持っていくように思います。 いずれにせよ、「信長は善」に固執するので、本能寺の変をどう描くのかはまだ全くの謎です。 善対善の図式にするからには何か行き違いを描くのでは無いでしょうか? 牧の方を出しているので、おそらくは磔をポイントにすると思います。
質問者からのお礼コメント
みなさま、回答ありがとうございました。
お礼日時:2020/6/11 21:47