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NHKの利家とまつをみているのですが、結局徳川家康を止められなかった晩年の前田利家はどうなのでしょうか。 加賀百万石の礎を築いた戦国大名であることはまぎれもない事実ですが、それだけの

NHKの利家とまつをみているのですが、結局徳川家康を止められなかった晩年の前田利家はどうなのでしょうか。 加賀百万石の礎を築いた戦国大名であることはまぎれもない事実ですが、それだけの 力と人望があるにも関わらずなぜ徳川家康に天下をゆるしてしまったのでしょうか。たしかに彼の存命中は徳川家康も何もできなかったので、やっぱり前田利家はすごい大名だったのでしょうか。

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回答(6件)

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「加賀百万石の礎を築いた戦国大名であることはまぎれもない事実ですが、それだけの力と人望があるにも関わらずなぜ徳川家康に天下をゆるしてしまったのでしょうか。」 まあ、なんというか、、、まずね、家康の野心を挫く役割を、利家に負わせるのは無理があるよ。これは利家が能力的にダメっていうわけではなく、立場の問題。その役割は秀吉が、生きている間にしなければならなかったんだけど、できなかった。それだけの話ですよ。 で、利家と秀吉は、かつての主君の信長の下では同僚だったのに対して、信長が存命中は秀吉や利家は、家康は主君の盟友でした。そのため、家康を臣従させた秀吉はともかく、利家にしてみれば、家康に対して、心理的に遅れをとって当然だったのです。 また、利家と秀吉が同僚だったということは、利家は秀吉子飼の家臣やかつての織田家臣に対して強い睨みが利かすことができたということです。それが質問者がいう力と人望の源泉であり、実際に利家が生前に加藤清正や福島正則らの行動を抑えることができたのです。 しかし、これが利家の限界でもあったといえるのです。つまり、秀吉の子飼の家臣や織田家臣出身の大名以外には、それが通用しなかったということです。 また、利家は賤ヶ岳の戦い戦い以降、秀吉に与力する事で、その地位を得たわけで、いわば秀吉のキングメーカーなのです。ところが、キングメーカーは自らが王になることはできません。周囲も利家自身も、利家の地位は秀吉が天下人となったことで、得られたと思うのは当然なのです。 一方で家康も毛利輝元も、秀吉と戦っているわけで、その地位は本人の実力によるものです。となると、秀吉子飼の家臣や織田家臣出身以外の大名からは、豊臣政権内の実力者は家康と輝元と見ていたということです。 だから、家康の野心を挫くというのは、利家には荷が重すぎたといえるのです。

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前田利家は醍醐の花見のまえあたりから体調の変化を感じていたらしく、花見の1ヶ月後の4月20日に隠居を申し出て許されると早速草津に湯治に赴いている。 4ヵ月後には秀吉が死去したが、この時点で利家の寿命は8ヶ月しか残っていなかった。 利家の死因は症状から消化器系の癌である可能性が高い。 利家の言動を見る限り、翌年正月に秀頼を半ば強引に大坂城にうつした頃までは死病とまでは思っていなかったかもしれないが、まもなく家康の婚姻政策を巡って対立した直後に体調を崩すと死を覚悟したようである。 これによって利家は自分に秀頼の天下や前田の天下を築くだけの時間が残ってないと考えるようになったと思われる。 それでも家康と刺し違えるかどうか逡巡した形跡があるが、最終的には家康も自分もいなくなった後に天下を収拾できるものはいないと考えたようで、徳川家康に任せるような形でなくなっていった。

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私は歴史には詳しくないのですが、元々加賀は一向宗が強い百姓のもちたる国として100年以上自治をしてきていた所でした。その段階で既に百万石位あったと言う風に聞いたように思います。前田利家は美濃かどこかの人だと思いますが紀州攻めで武功を上げたと思います。つまり紀州の根耒衆等を退治した所で加賀もやらせたのかなと思います。前田利家のやり方は残酷で一向宗には釜茹で等を行い、年貢を厳しくとりたてたせいで加賀能登の人はお上に逆らえない大人しい性格になったとも言われると思います。私は前田利家を思うとその犠牲の凄さに辛くなります。確かに石山本願寺等もやられたので前田利家だけが残酷ではないかとは思いますが余りの事に地元の人じゃないからと言われる事もあると思います。しかし現在も時々愛知県の人には親切にされる事があり、テレビを見ていて家康を殺さなかったせいかなとも思いました。ドラマは見てないのでおかしかったらすいません。

つまり唐沢産が言われた様に己を知っていたのかも知れないと思います。自分は二番手三番手の人間だと思っていたのかも知れません。以前テレビ東京で見た番組では、秀吉を毒殺したのは前田利家と言う説があるようです。韓国の古文書にその様に記載されている様です。朝鮮征伐を止めて欲しいと前田利家に使者を送り毒殺したと記載されているそうです。番組を見てまつさんがやったかもと思いました。

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秀頼守役、五大老筆頭、、、絶妙な配置をしたのは秀吉、、、、 でも、秀吉、本人がいなくなれば、、、、

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前田利家という人は、加賀前田家が江戸時代を通じて、 3か国120万石もの大大名だったから、 多くの学者らが前田家に対し忖度を行った結果、 実像よりもはるかに、大きな人物として伝わっています。 その実態は、信長の少年時代からの近臣なため重用され、 その功績の割には厚遇されて、能登一国の太守になり、 信長の死後は、戦場で上司の柴田勝家を裏切り、 若いころ親しかった、秀吉に寝返った人物です。 ただ、前田利家にとって、幸運な事に、 秀吉は、最も信頼していた弟の秀長を早くに亡くしてしまいます。 その結果、他に頼れる身内もいない秀吉は、 古い友人の前田利家を頼りにしたに過ぎません。 つまり、利家自身が苦労して、その地位を手に入れたというより、 人間関係の巡り合わせで、棚ボタ式に政権ナンバー2という地位を、 得ていただけ、と言えなくもありません。 自ら、危機を切り開いて、秀吉死後の最大の実力者になった家康とは、 格が違うと言って良いでしょう。 ただ、家康としては、どうせ前田利家もそう長生きはしないから、 死ぬまでは顔を立ててやろうという、意識があっただけだと思います。

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