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2020/7/11 7:26

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竹中半兵衛が稲葉山城を急襲した話は、定説としてはどういう理由ですか?あと私見として何かあれば。

竹中半兵衛が稲葉山城を急襲した話は、定説としてはどういう理由ですか?あと私見として何かあれば。

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道三の孫、斎藤龍興の行状を諫めるための稲葉山城乗っ取り、というのが世の中に広がっている定説ですよね。 崇福寺の住職だった快川紹喜という人物が、稲葉山城は白昼に襲われ、6人が殺されて国が奪われたと、手紙に残しており、乗っ取ったのは事実だとみて間違いないでしょう。 しかし「行状を諫めるため」というのは、後の言い訳で、実際は斎藤家・家臣間の内部分裂により、半兵衛や安藤守就らが本気で稲葉山城乗っ取った。ただ占拠してみたものの外交を含めた統治が上手くいかず、「行状を諫めるため」という理由を付けて龍興に城を返した、という説が有力なんだだそうです。 私は、さもありなんという感じで、本気で乗っ取ってはみたものの統治が無理だった、という説に納得しています。

実際に竹中半兵衛は、半年も占拠して城を返した後は浅井長政を頼って江北へ落ちていきましたし、安藤守就も出家しています。 行状を諫めるのなら半年も占拠する必要はありませんし、敵地に落ちていったり出家するのも不自然ですよね。 やはり本気で占拠して、他家(浅井家や織田家)と何らかの交渉をしつつ統治していこうと模索していた、と考えるのが自然のような気がします。実際その後の歴史でも、半兵衛も安藤も織田家に仕えて、浅井家と友好関係になっていますし。