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2020/8/3 18:50

1111回答

戦時中の日本が本気を出せば、ソ連のT-34より高性能で、大量生産に向く戦車を開発可能でしたか?

戦時中の日本が本気を出せば、ソ連のT-34より高性能で、大量生産に向く戦車を開発可能でしたか?

歴史 | ミリタリー98閲覧

回答(11件)

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まず資源がないです。 家庭からでも鉄を回収するほどでしたから。

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できません。物資どこから待ってくるんだ

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1930年代なかばだと主要参戦国の多くは10〜15t級戦車が主力で、それすら数が足りないので国内の治安維持用など数合わせには豆戦車、37〜47mmクラスの対戦車砲や狙撃砲の系列の主砲では威力が不足するトーチカなどへの対処用に50mmクラスの砲を搭載した中戦車を充てるという装備構成です。まあマチルダⅡとか例外的に、車体背面でも垂直ながら最大50〜55mmの重装甲で26tもあるのですが。

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たぶん可能です。でも本気を出さなかったでしょう。なぜならば、日本にとっては戦車は決戦兵器ではなかったから。ヨーロッパの戦いは、陸戦が主です。ヨーロッパの広い平野部を戦車隊が機動して戦う。 でも、日本にとっての決戦場は海です。海戦の主役である航空機こそが決戦兵器でしたので、戦車に人材や開発資源を潤沢に振り向けられることはなかったので、「本気」をさせなかったと思います。

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結論から言うと考え方が違うのです。 まず、ソ連とは休戦し、太平洋戦争前半、米英蘭は南方に軽戦車しか持ち込んでいなかったので、特に困っていない状況が続きます。 1943年(昭和18年)7月の「兵器行政本部研究方針」にて、独ソ戦の分析に合わせた新戦車の開発をしますが。 (つまり、昭和18年からソ連との再戦に備え始めた訳です。 なお、1945年4月にソ連は延長しないと通告してきたが、1946年4月まで中立条約は有効で、対処が間に合わなかったのではない。) 日本人は欧米人より体格が小さく90式機動野砲の75mm砲弾すら重いと不評でした。 昭和17年に通常の戦車は(平射砲なら)75mm砲が限界とされました。 それ以上はどうも薬莢と弾頭を分けるなどして装填手を増やすなどするため、砲戦車や対戦車自走砲でないと無理と判断しています。 結局、T-34-76に対抗する中戦車と、ソ連重戦車に対抗する砲戦車・対戦車自走砲を開発中に敗戦します。 しかし、デタラメな回答だらけで驚く。 貨物船のデリックだのクレーンだのも、知ったかぶりの定番。 日本軍は新型戦車に合わせて大発や特殊船(船体を陸付けして前から戦車を乗せられる艦艇です)を作っており、デリックだのクレーンだのが制限に成ったことはありません。 例えばチハやチトの開発時には大発を別途開発しています。 エンジンも、ガソリンエンジンながらハ9はグロスで700馬力出ています。 冷却に100馬力取られるためにネットは600馬力です。 チリ用は550馬力にデチューンしたとされますが。 インタークーラーの駆動を追加したためとの説もあります。 なお、アメリカがテストした中にターボ付きの四式ディーゼルエンジンが500馬力とされ、これはチリⅡ用と推測されています。 エンジンが無いって全く資料読んだこと無いだろう。 ちなみにトーションバーは技術が無いのではなく、開発中に東北帝国大学(現東北大学)市原通敏博士が事故死されたために研究が停滞しただけ。 チリはトーションバーサスペンションの採用が検討されていたが1943年、試作トーションバーサスペンションを装着した九八式六屯牽引車(ロケ車)が転落事故を起こしたのです。 三菱が引き継ぎますが、とりあえず試作された戦車に採用は見送ってます。 酷すぎる。(何度も指摘されてるはずなのに。)

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戦前から戦時中の列強国の中で一番本気を出していた(国家予算をもっとも軍事費につぎ込んでいた)国は日本なんですけど。

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