旧約聖書の中で「ヨブ記」と「コヘレトの言葉」以外に、因果応報への疑念を抱いている箇所を教えてほしいです。 具体的な内容も教えてくれると嬉しいです。

旧約聖書の中で「ヨブ記」と「コヘレトの言葉」以外に、因果応報への疑念を抱いている箇所を教えてほしいです。 具体的な内容も教えてくれると嬉しいです。

宗教 | 宿題174閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">500

ベストアンサー

2

応報思想とは、世界は義の神によって秩序づけられていて、 人間はその振舞いに相応しい報いを神から受けることをいい、 旧約聖書では申命記、預言書、知恵文学にしばしばみられる思想だ。 さらに例えば詩編にも箴言のような楽天的な応報思想(1、112など)が ある一方、コーヘレトに近い49篇、ヨブに近い73編などある。 知恵文学では箴言の格言も応報思想を表すと通常考えられているが ドイツ聖書学を代表するコッホはこれに異議を唱えた。 応報思想という用語は聖書の世界に限ったものでないが、 上記応報思想の定義からわかるように申命記などの応報思想は 神の介在が必須である。それに対して箴言の格言は世俗的であり 箴言にみられる人間の行為の結果は神の応報に当たらないとして コッホは応報思想とは認めず、「行為帰趨連関」と呼んで区別する。 いわば自然法則的な因果律であるというのである。 この点については現在もいろいろ議論されている。 ただ箴言もヨブ記同様に知恵が最初の被造物であり知恵は世界の 創造に立ち会ったという(8:22以下)。だから知恵は 被造世界の背後にある秩序そのものであるから、正しい知恵を 理解しそれに適合させることで創造を脅かす混沌から身を守り 成功や幸福を得られるという応報思想に立っているといえる。 さらに応報思想は被造世界にとどまらず、歴史についても 働いているというのがユダヤ教の理解だ。応報思想は王国時代 以前はこの世における原理であり、集合体の観念から 報いは本人にではなく子孫に報いという形で説明された。 しかし捕囚時代以降になると集合体の観念に立った連帯責任 にかわって個人責任の観念が広まり、この世で応報思想の原理 が成就しないことへの疑義が生まれた。そうした状況にあって 死後の世界の観念がユダヤ教にも浸透したことで、応報思想の 原理は復活や霊魂の不滅という観念によって成就されると 考えられるようになった。 応報思想のルーツについて申命記が先か知恵文学が先かという 論点があるが、おそらく素朴な応報思想に立つ申命記が先で それが知恵神学と黙示思想にみられる発展した形へと 進んでいったんだろう。だから旧約聖書だけでなく旧約外典偽典 新約聖書にまで視野を広めてみたほうがいいんじゃないのかな。

2人がナイス!しています

ThanksImg質問者からのお礼コメント

助かりました。ありがとうございました!

お礼日時:8/12 17:33

その他の回答(1件)

1

新約聖書:マルコによる福音書:4章:15節 道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。 _ 種が蒔かれた当初から問題が勃発したらしい。

1人がナイス!しています