回答受付が終了しました

クリスチャンの方にお伺いします。 パウロはイエスキリストに対していました。 反対しているどころかイエスキリストの直弟子ステファノの殉教の時石を投げて殺した人の衣服を預かっていました。

クリスチャンの方にお伺いします。 パウロはイエスキリストに対していました。 反対しているどころかイエスキリストの直弟子ステファノの殉教の時石を投げて殺した人の衣服を預かっていました。 でも個人的にはーー強烈な信仰を持ったガマリエル傘下の 直情的なパウロは実際に石を投げたのではないかと疑っていますがーーーー・ それはちょうど神などはいない。 神は人間が作ったものだ。 幻想だ。 アヘンだ。 キリスト教を信じるのは前近代的な人間だ。 キリスト教は日本人を売った奴隷貿易のお金で日本宣教をした。 キリスト教こそ人類を最大限に殺してきた宗教だ。 と考えている方が180度変わって洗礼を受けたと同じようなものだと思います。 まあ、パウロの場合はユダヤ教徒だったので神などはいないとは思っていなかったでしょうが そして彼が強烈な信仰者になったのは神から一方的に復活のイエスキリストに会わされて回心したからです。 このようなパウロと同じような立場でありながら信仰を得てクリスチャンになった人はいるのでしょうか 自分から信仰を得るように努力したというのではなく神の一方的な選びによってクリスチャンになった人はいらっしゃいますか?

宗教 | クリスマス44閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

回答(9件)

0

ジョン・ニュートン 元々奴隷商人でしたが、嵐に遭遇して改心しました。アメージンググレイスという賛美歌を作った事で有名な人です。

0

幕末から明治の初期に、津和野に流罪になった浦上村のキリシタンたちを虐待していた役人の一人が、後にカトリックの信徒になった例があります。 使徒パウロのように決定的な体験をして回心した例はそれほどないでしょうが、信仰は神様からの無償の、恵みですから、キリスト者はすべて、すべての人に差し出されている恵みを受け取る決心をした人だと思います。

0

一応、全ての人は神様によらなければクリスチャンになれません。自力でクリスチャンになることはできないのです。(これはなかなか理解しにくいと思いますが、キリスト教はこういうふうに考えています。) また、パウロはもともと熱心で、ちょっとベクトルがズレてただけといった感じだと思います。イエスを迫害した律法学者達は自分の保身のためにイエスを攻撃しましたが、パウロはそういう理由ではなかったからです。 (全く神様から離れてる人が無理やり救わされたとなるとキリスト教的に問題です。)

1

>神の一方的な選びによってクリスチャンになった人 は、使徒含め>すべてだと考えます。逆に… >自分から信仰を得るように努力した… 努力で、勝ち取って信仰者は皆無かと… 現在、ユダヤ人の信仰者は居るので、パウロの様な働きをする人物が出ると思います。その時、パウロと異なるのは、「宣教対象」で、ユダヤ人宣教に専念されると思います。

1人がナイス!しています