三国志の蜀漢は晋に滅ぼされましたが、晋統治後に殺害された文武官は多いのでしょうか?

三国志の蜀漢は晋に滅ぼされましたが、晋統治後に殺害された文武官は多いのでしょうか?

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鄧艾が成都に迫って劉禅らが自らを縛って棺を用意して降伏した際、鄧艾は棺を焼き払い縛を解いて降伏を許し、略奪を禁じたのでこの時死したものはほとんどいなかった。 鄧艾は「私が呉漢(光武帝の武将で蜀を平定し虐殺を行なった)のような男でなくて君たちは幸いだった」と言い、影で失笑されるほどであった。 鄧艾は今こそ天下統一の機会であると考え、一気に長江を下って呉をも討とうとして成都で軍備を増強し降伏した蜀の人々に官職を与えた。 これらの事は独断専行であったため、もう一方の大将だった鍾会に告発され、ついには鄧艾らは反逆者として捕らえられる事態となった。 こうして実質的に蜀を1人で治める立場になった鍾会であったがたちまち増長して、勝手な振る舞いが増えていった。 降伏して許され成都に戻っていた姜維はこれをチャンスととらえ、鍾会に近づいて側近となり、独立を唆した。 姜維は鍾会の独立が成功すれば、これを殺して蜀を復活させるつもりであった。 しかしさすがに鄧艾の時のように、諸将が賛同するとは思えなかったので、鍾会は独立にあたりまず諸将を捕らえて監禁した。 諸将の1人が機転を利かせ、「鍾会は反乱を起こすにあたり、自分以外の隊の兵を虐殺するつもりらしい」という噂を流させたため、諸軍が鍾会や姜維の一味を襲って殺害し諸将を救出した。 このとき、成都内で一味と看做された蜀の文武官や皇族の一部が殺害されるなど混乱が起こった。 確かではないが、乱に乗じて龐徳の子供龐会が関羽の子孫を皆殺しにしたともいわれる。

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蜀降伏後の死者だと… 蜀降伏時に自殺 ・劉諶(劉禅の子) ・李昭儀(劉禅の愛妾) 鍾会の乱に巻き込まれ殺害 ・姜維とその妻子 ・張翼 ・劉璿(皇太子・劉禅の子) ・関羽の子孫?(『蜀記』では龐会に皆殺しにされたというが、樊城で死んだ龐徳の遺体を、何故かこの時回収したと書いており、信憑性に乏しい) 蜀滅亡を嫌った人が何人かと、姜維と運命を共にした人が何人かって感じ。まあ、そんなにいないですね お話のストーリーなら、黄晧も滅亡の責任を取らされて処刑されます…が、史実では賄賂送って助命されてます

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蜀漢を滅ぼした時点では晋は成立しておらず、魏です。