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ID非公開

2020/8/26 18:54

1111回答

第二次世界対戦時、日本国民は戦争を望んでいたのですか?

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お礼日時:2020/9/18 10:06

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東条は主戦論者です。 天皇陛下の意向にしたがって戦争回避に動きましたが、米国は、東条では信用できませんし、開戦を決意したと思います。 あとの外交は、戦争前に形式をととのえるだけです。 話し合いの段階は、既に終わっていたとおもいもいます。 近衛内閣が、最後だつたとおもう。

戦争で一儲け…戦争景気に期待。 しかもマスコミのプッシュもあったにせよ、 日本は負けないんだ(だから逆に妥協した過去の日露戦争に 対し大暴動が起きたりもあったワケだが)感覚があったのは確かだろう。 東條英機…彼は別に反戦主義者では無いだろう。 ただ、意外にゴリ押してまで戦う事を美しとも思ってなかったかもしれん。 でも少なくとも、軍をある程度抑えてくれるのではってのは どこかあったようだけど。o○ しかし、国民が選んだというワケでは無いでしょうね (天皇の覚えは良かったって事もあったようだが)。 しょっぽクン

当時の戦争は今で言う公共事業みたいなもので、戦争をすれば景気が良くなると多くの国民は信じていた。 現に関東大震災と世界恐慌で日本は大不況に陥ったのだが、満州事変によって日本の景気は他国よりも先駆けて良くなった。それ故に支那事変が泥沼化しても多くの国民はいま我慢をすればきっと景気が良くなると信じて耐えた。 さて東条英機が首相に選ばれたのはアメリカを中心とした対日禁輸政策により対米英開戦も止むなしと軍部、特に陸軍を中心に高まっていた。しかし日本がアメリカと戦っても勝てる見込みは少なかった故にその陸軍の行動を抑えるために木戸幸一内大臣を中心とした重鎮たちは東条英機を選んだ。 なお戦前の憲法では首相の権限は現在の首相よりも弱く、内閣の取りまとめ役みたいなものだった。戦前の大臣はすべて天皇の輔弼(代わりに行うこと)であり、それは首相も同じだった。それ故に首相も他の大臣も陸軍・海軍大臣も対等であり、内閣で一人の大臣でも反対をすれば政策案は廃案となるし、また内閣を解散することになりかねない。 さて東条英機が開戦派だったかどうかだが、首相になる前は対米英開戦強硬派であった。しかし東条英機は天皇を深く崇拝していた故に天皇が対米英開戦を望んていないことを首相になってから知ると開戦を回避する努力をした。 しかし開戦に向けての大きなうねりは誰にも止めることはできず、開戦となった。 先にも書いたように一人の大臣でも政策案に反対をすれば内閣不一致となり、廃案となる。 つまり対米英開戦を決めたのも東条英機一人でなく内閣にいた大臣全員が承認して開戦が決まった。要は東条英機でなくても対米英戦は避けることができなかったと言える。

日中戦争が勃発した昭和12年のGDP成長率ですが23.7%で、明治維新以降、最高の成長率を誇っています 前年は226事件が起こるほど困窮していたし、予算は6月に可決成立という状態 何ともならなかった景気が一挙に回復したんですわ スーパーボーナス付きでね そりゃ、二匹目のドジョウが欲しいでしょ いなかったんだけど 私も二匹目のドジョウが欲しいですわ

南京事件後から続くごたごたで、停戦交渉してたの陸軍だから。 政治やが、大陸から民間人の退去する方針を取ってくれれば、陸軍も残って戦う必要もなかった。 利権なんて何もないので、変な事言ってる人は相手にしないように。 南京事件は1927年に起きた方ですよ。これの対応の違いで、日本は蒋介石に甘く見られて、戦争を辞められず大戦に枢軸側で参加することになります。