日本古来の文化は誰が見ても仏教でヴィーガンを推奨していたことは明らかですが、なぜ日本人は昔から犬やウサギやキジなんでも食べてたとか言う人がいるのですか?

日本古来の文化は誰が見ても仏教でヴィーガンを推奨していたことは明らかですが、なぜ日本人は昔から犬やウサギやキジなんでも食べてたとか言う人がいるのですか? そりゃ何千万人も人がいたら1人や2人食べてるのいるでしょう? 食べた記録に残ってることと食文化として大衆に根付いていることは別問題。新宿にゲテモノ屋料理屋があるけど日本人は蜘蛛を食べるって言いますか?鹿児島では犬ころ飯があったとネットでは当たり前に流布されてるけど鹿児島県民に聞いても誰もそんなこと知らなかった。70、80のおばあちゃんに聞いても知らなかった。ネットの文字ばかり拾ってないで、もっとリアルに外出て、直接聞いて、現場を歩くべきでは?

その他の回答(13件)

3

質問者さんへ。 何がどうしてそんな考えに至ったのですか? どんなに主張し啓蒙しようとも何も変わりませんよ。 もっと自分を大切になさったらどうでしょうか?

3人がナイス!しています

2

仏教でヴィーガンを 推奨はしてない。 精進料理は ヴィーガンっぽいけど、 僧侶の話でしょ? そりゃ僧侶は煩悩を 消さなきゃ(笑)。 だけど別に檀家には、 推奨されてない。

2人がナイス!しています

9

そもそも仏教はヴィーガンではありません。 初期仏教に「三種浄肉」という言葉があります。 僧侶は托鉢をして生活していましたが、「ある僧侶が肉を施されたとき,その動物が自分に施すために殺されるのを見ず、自分のために殺されたのであると聞かず,自分のために殺されたのであるという疑いがない場合に、その肉を食べてもよいとされる」という意味です。 つまり、積極的には殺して食べないというだけで、布施されたものなら受けて食べます。 ……「誰が見ても明らか」などと口にする前に、きちんと調べましょう。

9人がナイス!しています

5

違いますよ。 そもそも仏教で何故肉食がダメと言われるようになったのか? それは殺生をしてはならぬ、というものがあるからです。 ですがそれは肉を食べてはいけないという訳ではなくあくまで自分で殺してはいけないという話であり、誰かが殺し調理した肉を施されたのに関しては「断ればその動物の死を無駄にしてしまう行為」として食べて良しというのが元にあったものであり、肉を食べてはならぬは庶民向けで「つまり肉を食べてはいけないという事ですか?」と聞かれた時に「(まぁ、庶民は自分で作るかわざわざ注文しないと肉食べないし説明めんどくさいしいっかー)そういう事ですよ」と言ったからです。 仏教の話のなかにうさぎの話があります。 これは天の王(帝釈天)が老人の姿で善人を探し施しを求めていた時うさぎが「私にはこの身しか捧げるものがありません。」と言って炎の中に飛び込み食されようとした、という話があります。 この事からも仏教は肉食を禁止にしていません。 うさぎを数える時に羽と数える呼び方もありこれはうさぎの耳を羽と例え仏教徒であっても食べれるように言い訳した、と言われています。 イノシシのことは牡丹、馬肉をサクラ肉、鹿肉を紅葉と呼んで好んで食べられていましたし赤犬は美味いと言われていた話も残っています。 仙台にはイナゴの佃煮という郷土料理もあり、カツオのたたきは「生で食べると食中毒で死ぬからダメ」という江戸幕府の役人に「焼いてますよ」とアピールする為に出来た、と言われています。 東京都練馬区は徳川家が代々鷹狩りを好んでしに来た、という話しもありますし弓矢の練習で犬追物という犬を射って遊ぶゲームもありました。 個体数が減らないように、来年も狩りが出来るように、と幕府の役人が個体数維持の為に庶民が獣を狩るのを禁止にして管理していた話もありますし基本粗食ではありますが日本人がヴィーガンなんて事はないです(笑

5人がナイス!しています