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2020/9/6 17:45

22回答

幕末、孝明天皇は攘夷派でしたよね。

幕末、孝明天皇は攘夷派でしたよね。 1862年に薩摩藩の島津久光と共に大原重徳が江戸に行くのはなぜでしょうか? 島津久光は藩主ではないため自分だけでは有意な立場で改革の意見を述べることはできない、よって朝廷の力を借りているということは分かりました。 ですが朝廷側は、薩摩藩は寺田屋事件で尊王攘夷派を殺害しているし尊王攘夷派ではないのに、なぜ協力しているのでしょうか?

補足

誤字してました、優位です!

日本史 | 大学受験23閲覧

ベストアンサー

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朝廷は攘夷だが、あくまでも幕府と協力して 幕府と共に攘夷していこうという考え 薩摩も幕府と朝廷に協力するという考え 同じ思考だよ

その他の回答(1件)

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孝明天皇は外国嫌いの徹底した攘夷派っす。でも幕府大好きの熱心な佐幕派でもあり、久光が望んでた公武合体を望んでたお人でもあったっす。 そんで、寺田屋で久光が粛清した薩摩藩内の尊皇攘夷派が計画してたような、過激な尊皇攘夷運動を非常に嫌ってた人でもあるっす。 だから、久光とは相容れる考えの持ち主だったんすよ。