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神、と言う存在が甘えの答えになると言う、答えに関してどう思われますか、そして、答えのお考えを述べてください。

神、と言う存在が甘えの答えになると言う、答えに関してどう思われますか、そして、答えのお考えを述べてください。

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回答(4件)

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少し質問の趣旨とズレますが 古代ギリシャ人達は神を崇めると言うよりも恐れていたと言たと聞いた事があります。 「神、と言う存在が甘えの答えになると言う」この言葉は恐らくキリスト教の価値観を前提にしたものではないでしょうか? 「今現在の生活を改善しようとせずに死後の世界に期待する事は甘えである」と言いたいのではないでしょうか?

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昔、読んだ、土居健郎という精神科医が書いた『信仰と「甘え」』という本を思い出しました。内容はほとんど忘れてしまいましたが、世間的にはネガティブな意味で言われる「甘え」を、信仰との関係においては重要な意味を持つ感情として述べていたと思います。そしてそれは、自由主義神学の元祖ともいわれるシュライエルマッハーの「絶対依存の感情」と関連していると思われます。つまり神信仰には少なからず「甘え」の感情がつきものであるということです。それは人が幼児の頃、親に甘えて育つ人が多いので、親のように思われる「神」もやはり甘える対象になるのです。 聖書的には、「神」は「霊魂の父」といわれ、肉の父親とは質を異にしますが相似的に捉えられています。 それはともかく、「神」への信仰において、自分の甘えを受け入れてくれる存在とみることは、けっしておかしなことでも誤ったことでもありません。人は成人しても甘えたい相手がほしいのです。それが伴侶になることもあるでしょうが、年齢を重ねるに伴って自分の甘えの感情を満たしてくれる存在はいなくなります。それは人間ではなく、人間を超えた存在…すなわち「神」に求めるしかないのです。 ただし、聖書的な神信仰が、甘えを主たる要素とするものか?というと必ずしもそうとは言えません。信者によって、甘えの程度は違います。そして聖書的な神信仰には、「甘え」だけではなく「鍛錬」の要素もあります。神は人を鍛えられるのです。そういう厳しい面もあります。だから神は、甘えられる相手であると同時に、鍛える存在でもあるということが重要です。

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神がいていいことをしたら守ってくれると思うことは甘えかもしれないけど、 そうでも思わなきゃやっていけないという状況もあると思います。災害でめちゃめちゃだし。 ある程度宗教的ではないけど生き方の指針はあったほうがいいかもと思って、 最近、モモという映画の本を読んで、なにか生き方の指針のヒントにしようと考えています。童話なんですけどねー汗 わかりやすい本から勉強しなおしてるところです笑