福沢諭吉の教育論について分かる方いますか?
福沢諭吉の教育論について分かる方いますか? 教えて下さい! 福沢諭吉の教育論で特に印象に残ったことを取り上げ、その内容を紹介したうえで、それについての感想を述べてください。
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>福沢諭吉の教育論について分かる方いますか? >教えて下さい! >福沢諭吉の教育論で特に印象に残ったことを取り上げ、その内容を紹介したうえで、それについての感想を述べてください。 福澤諭吉の教育論で特徴的な所は「数理と独立」を重視していることです。 『福翁自伝』の「王政維新」の章にある「教育の方針は数理と独立」では、 「東洋になきものは、有形に於(おい)て数理学と、無形に於て独立心と、この二点である」 と語っています。 もうひとつ特徴的な所は儒学者と儒教を敵視していることです。 「教育の方針は数理と独立」では、 「所謂(いわゆる)腐儒(ふじゅ)の腐説(ふせつ)を一掃して遣(や)ろうと若い時から心掛けました」 と語っています。 ------------------------------------------------------------ 教育の方針は数理と独立 ソコで東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形に於(おい)て数理学と、無形に於て独立心と、この二点である。彼(か)の政治家が国事を料理するも、実業家が商売工業を働くも、国民が報国の念に富み、家族が団欒(だんらん)の情に濃(こまやか)なるも、その大本(たいほん)を尋(たずね)れば自(おのず)から由来する所が分る。近く論ずれば今の所謂(いわゆる)立国の有らん限り、遠く思えば人類のあらん限り、人間万事、数理の外(ほか)に逸(いっ)することは叶わず、独立の外に依(よ)る所なしと云(い)うべきこの大切なる一義を、我日本国に於ては軽(かろ)く視(み)て居る。是(こ)れでは差向き国を開(ひらい)て西洋諸強国と肩を並べることは出来そうにもしない。全く漢学教育の罪であると深く自(みず)から信じて、資本もない不完全な私塾に専門科を設けるなどは迚(とて)も及ばぬ事ながら、出来る限りは数理を本(もと)にして教育の方針を定め、一方には独立論の主義を唱えて、朝夕(ちょうせき)一寸(ちょっと)した話の端(はし)にもその必要を語り、或(あるい)は演説に説(と)き或(あるい)は筆記に記しなどしてその方針に導き、又自分にも様々工風(くふう)して躬行実践(きゅうこうじっせん)を勉(つと)め、ます/\漢学が不信仰になりました。今日にても本塾の旧生徒が社会の実地に乗出して、その身分職業の如何(いかん)に拘(かかわ)らず物の数理に迂闊(うかつ)ならず、気品高尚にして能(よ)く独立の趣意(しゅい)を全うする者ありと聞けば、是(こ)れが老余の一大楽事です。 右の通り私は唯(ただ)漢学が不信仰で、漢学に重きを置かぬ計(ばか)りでない、一歩を進めて所謂(いわゆる)腐儒の腐説を一掃して遣(や)ろうと若い時から心掛けました。ソコで尋常一様の洋学者や通詞(つうじ)など云(い)うような者が漢学者の事を悪く云うのは普通の話で、余り毒にもならぬ。所が私は随分(ずいぶん)漢書を読よんで居る。読で居ながら知らない風(ふう)をして毒々敷(し)い事を言うから憎まれずには居られない。他人に対しては真実素人のような風をして居るけれども、漢学者の使う故事などは大抵知(しっ)て居る、と云うのは前にも申した通り、少年の時から六(むず)かしい経史をやかましい先生に授けられて本当に勉強しました。左国史漢は勿論(もちろん)、詩経、書経のような経義(けいぎ)でも、又は老子荘子のような妙な面白いものでも、先生の講義を聞き又自分に研究しました。是れは豊前(ぶぜん)中津(なかつ)の大儒白石(しらいし)先生の賜(たまもの)である。どの経史の義を知(しっ)て、知らぬ風(ふう)をして折々漢学の急処のような所を押えて、話にも書(かい)たものにも無遠慮に攻撃するから、是(こ)れぞ所謂(いわゆる)獅子身中(しんちゅう)の虫で、漢学の為(た)めには私は実に悪い外道(げどう)である。斯(か)くまでに私が漢学を敵にしたのは、今の開国の時節に、陳(ふる)く腐れた漢説が後進少年生の脳中に蟠(わだか)まっては、迚(とて)も西洋の文明は国に入ることが出来ないと飽(あ)くまでも信じて疑わず、如何(いか)にもして彼等を救出(すくいだ)して我が信ずる所に導かんと、有らん限りの力を尽(つく)し、私の真面目(しんめんもく)を申せば、日本国中の漢学者は皆来い、乃公(おれ)が一人で相手になろうと云うような決心であった。ソコで政府を始め世間一般の有様を見れば、文明の教育稍々(やや)普(あま)ねしと雖(いえど)も、中年以上の重(おも)なる人は迚も洋学の佳境に這入(はい)ることは出来ず、何(なん)か事を謀(はか)り事を断ずる時には余儀(よぎ)なく漢書を便(たより)にして、万事ソレから割出すと云う風潮の中に居て、その大切な霊妙不思議な漢学の大主義を頭から見下して敵にして居るから、私の身の為めには随分(ずいぶん)危ない事である。 福澤諭吉『福翁自伝』 - 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/1864_61590.html#midashi2300 ------------------------------------------------------------ 上記の『福翁自伝』では、「或(あるい)は演説に説(と)き」と語っていますが、実際の演説では「物理学の重要性」というものがあります。 ここで、「物理学」といわれているのは、今の物理学より広く、自然科学・医学・薬学のこと(すなわち理系の学問)を指しています。 『時事新報』1882年(明治15年)3月22日号の社説に掲載された演説「物理学の要用」では、以下のように ・「経済学では自由主義や保護主義のように異なる学説が存在するが、それと異なり、物理法則はどこでも同じ法則が成り立つ」 ・「人であっても物理をよく知らず、ただ文明の利器を使用してその原理を知らない者は、馬が飼料を食らって、その餌の性質を知らず、単に口に旨いものを選び、そうでないものを捨てるのと同じ」 と語っています。 ------------------------------------------------------------ 物理学とは、天然の原則にもとづき、物の性質を明らかにし、その働を察し、これを採ってもって人事の用に供するの学にして、おのずから他の学問に異なるところのものあり。たとえば今、経済学といい、商売学といい、等しく学の名あれども、今日の有様にては、経済商売の如き、未だまったく天然の原則によるものに非ず。いかんとなれば、経済商売に、自由の主義あり、保護の主義あり。そのもとづくところ、同じからずして、英国の学者が自由をもって理なりといえば、亜国の人は保護をもって道(みち)なりといい、これを聞けば双方ともに道理あるが如し。されば、経済商売の道理は、英亜両国においてその趣(おもむき)を異にするものといわざるをえず。 物理はすなわち然らず。開闢(かいびゃく)の初より今日にいたるまで、世界古今、正(まさ)しく同一様にして変違あることなし。神代の水も華氏の寒暖計二百十二度の熱に逢うて沸騰し、明治年間の水もまた、これに同じ。西洋の蒸気も東洋の蒸気も、その膨脹の力は異ならず。亜米利加の人がモルヒネを多量に服して死すれば、日本人もまた、これを服して死すべし。これを物理の原則といい、この原則を究めて利用する、これを物理学という。人間万事この理に洩(も)るるものあるべからず。 (中略) 欧州近時の文明は皆、この物理学より出でざるはなし。彼の発明の蒸汽船車なり、鉄砲軍器なり、また電信瓦斯(ガス)なり、働の成跡は大なりといえども、そのはじめは錙朱(ししゅ)の理を推究分離して、ついにもって人事に施したる者のみ。その大を見て驚くなかれ、その小を見て等閑(とうかん)に附するなかれ。大小の物、皆(みな)偶然に非ざるなり。人にして物理に暗く、ただ文明の物を用いてその物の性質を知らざるは、かの馬が飼料を喰(くろ)うて、その品の性質を知らず、ただその口に旨きものはこれを取りて、然らざるものはこれを捨つるに異ならず。 然りといえども、馬はなお、その物の毒性なるか良性なるかを弁ずるの能力を有す。然るに今の世の不学の徒は、汽車に乗りて汽の理をしらず、電信を用いて電気の性質を知らず、はなはだしきは自身の何物たるを知らずして、摂生の法を誤る者あり。なおはなはだしきは、医は意なりと公言して、医術は憶測に出ずるものかと誤まり認(したた)め、無稽(むけい)の漢薬を服して自得する者あり。その愚の極度にいたりては、売薬をなめて万病を医せんと欲する者あり。上等社会にしてその知識の卑しきこと、実に驚くに堪えたり。 ひっきょう物理を度外視するの罪にして、あるいは人にして馬に若(し)かずと評せらるるも、これに答うるの辞なかるべし。我が慶応義塾において初学を導くにもっぱら物理学をもってして、あたかも諸課の予備となすも、けだしこれがためなり。なお、その教則の事については他日陳述するところのものあるべし。 福澤諭吉『物理学の要用』1882年(明治15年)3月22日 - 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/46686_25533.html ------------------------------------------------------------ 以上、何かのお役に立てば幸いです。
それでは、経済学や政治学はどうするかというと、 『物理学の要用』が掲載された翌日の1882年(明治15年)3月23日の社説『経世の学、また講究すべし』では、 「慶應義塾では、最初は物理学を教えて、上級になってから経済学や政治学を教える」 と語っています。 ------------------------------------------------------------ ある人いわく、慶応義塾の学則を一見し、その学風を伝聞しても、初学の輩(はい)はもっぱら物理学を教うるとのこと、我が輩のもっとも賛誉するところなれども、学生の年ようやく長じて、その上級に達する者へは、哲学・法学の大意、または政治・経済の書をも研究せしむるという。 (続く)
質問者からのお礼コメント
ありがとございます!☺️
お礼日時:2020/9/13 1:18