北陸新幹線開業前の信越線で、全ての特急が横川駅に停車していたのはなぜですか。 運転停車では駄目だったのですか?

北陸新幹線開業前の信越線で、全ての特急が横川駅に停車していたのはなぜですか。 運転停車では駄目だったのですか?

補足

駅弁(釜飯)購入の為のサービス停車(ドア開放)との回答を多数頂きました。 駅弁は朝イチの特急から最終特急まで販売があったのでしょうか。

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ベストアンサー

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あくまで自分の推測ですが、今の鉄道は新幹線を含めて高速化した為に所要時間も短縮し車両も今と昔は違う事を頭に入れておいて下さい。東京〜長野間は今でこそ最速で1時間20分くらいですが、在来線の時のあさま号は最速で2時間40分くらい(確かそのくらいだった)で、その前はもっと時間が掛かってたので 途中でどうしても食事をする必要があるのと、昔の車両は今と違って座席の横の窓が開く事が出来たことをふまえて、横川〜軽井沢間は特別な機関車を連結をする必要があるので、横川である程度の時間の停車が必要でしたが、当時は駅弁を売り買いする時は座席の窓から出来たから別に運転停車だけでも済んだかもしれないが、当時はどうだったかは自分もわからないです。その後特急列車が走る様になり、特急列車の窓は今と同じで開閉は出来ないから駅弁を買うには降りないといけないのと、当時の特急列車はどの列車も食堂車が連結されてましたが、あさま号は189系が出る前はEF63と協調運転が出来ない為に、無動力で連結の為に8両編成しか出来ないのて食堂車が連結されてないので必ず駅弁を買う事になるのですが、おそらく運転停車だと乗客はホームに降りる事が出来ないから、運転停車にして駅弁を買う事を出来るようにしたんだと思います。推測なので合ってるかどうかはわからないです。

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その他の回答(12件)

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そりはね、 SL時代、碓氷峠のトンネルを抜けて来ると煤でみんな顔が真っ黒になったもんですから補機の連結・取外し時に車外に降りて洗面所で顔洗ってさっぱりとして東京と新潟・北陸方面の旅程の中程ですしお茶と弁当を買う休憩タイムがありがたかったんですよ。 軽井沢からの帰りに皇族も毎度のように喰ってた釜飯が定番の名物になって、電車の時代になっても購入タイムが当たり前になってしまってたんだな。 因みに、長野行き新幹線が出来てからも釜飯は昔のようにあったかいままのフレッシュなのを売るため高崎・軽井沢間で両駅に停車する列車のみ車内販売するテコ入れが図られたりもしたようです。(現在は新幹線車内販売自体が無くなってしまいましたが)

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想像です。 昔客車列車だった頃は客車のドアは停車中でも走行中でも手で容易に開けることが出来ました。この時代は停車していれば乗り降りが出来ましたので運転停車という概念が無かったと想像します。 全列車が補機を連結する横川駅は昔から特急停車駅という扱いで有ったため、電車や気動車化されてもそのまま特急停車駅と扱われ続けたのでしょう。

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信越線の特急はキハ82系の白鳥からのはずですので、手動ドアの客車特急時代はなかったかと思われます。 気動車特急白鳥ならば、横川駅での洗面時間も不要ですし、食堂車や車内販売がありましたのでわざわざ停車駅で駅弁を買おうかという必要性もありませんでした。

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横川と軽井沢の間はご承知の通りの急勾配で、その安全確保のため列車本数が限られていました。あれだけの長い区間にもかかわらず、熊ノ平を境に1本ずつしか列車が入れなかったのです。しかし特急の需要も非常に多い区間であり、どうしても特急優先とならざるを得ません。結果、普通列車の設定が極端に少なくなり、横川と軽井沢だけを移動する人も事実上特急に乗らざるを得ないという状況がありました。 質問主さまは、この1駅だけ特急に乗るのは横川止めの鈍行からの乗り継ぎ客ぐらいだろうと思っておられるようですが、それは違います。実際には横川駅から軽井沢駅まで「だけ」の区間を乗る客が一定数いたのです。私が見ていた限りでは、特急1本につき2~3名は必ず「ひと駅乗り」をしていた乗客がいたと思います(軽井沢駅は大きいので分かりにくいですが、横川の待合室にいると窓口できっぷを買うお客さんの声が全部聞こえますので、ああ、この人も軽井沢までわざわざ特急料金払うんだな、というのはよく分かりました)。 朝は長い時間いた事がないのでわかりませんが、夕方の下りとかだと1列車に4~5人か、それ以上乗っていく事がありました。少なく見えるかも知れませんが、当時の「あさま」の列車本数が多いので、全体で考えれば結構な数です(ちなみに、横軽廃止の際の乗降客数調査は、普通列車だけを対象に実施したそうで、この「あさま1駅乗り」の客は横軽の利用者としてはカウントされていません。悪意を感じます)。 こういう需要にとっては、特急停車がないと乗車機会は1日数本だけになってしまうわけですから、大問題です。 あとはやっぱり「釜飯問題」ですね。質問主さまは「そんなもの車内販売にすればよかったじゃないか」というお考えのようですが、ここを通過する旅客のうちかなり多くが「ホームに出て買う」という事自体を楽しみにしていました。そういう意味では旅客サービスでもありましたので、仮に運転停車にしていたら苦情が殺到したであろうと思います。

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横川というのは、群馬県でも最も奥まった集落のひとつで、その交通利便性は決して高い土地ではありません。 その横川に、碓氷峠を越えるための鉄道施設(機関庫はもとより、変電施設や線路保守基地などもあった)が数多くあり、この不便な地に数多くの鉄道職員を住まわせる必要がありました。 ところが仕事とは言え、こんな不便な地に住もうとする人はなかなかいません。 そこで機関車連結のためにどちらにしても停車する特急や急行も客扱いすることで、高崎や東京への利便性を飛躍的に上げることて利便性を確保し、鉄道職員にとって住みよい町にしようとしていたです。 だから特急や急行の機関車連結のための停車は、客扱いをする必要があったのです。

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駅弁があまりにも有名だし、下手すると車内の半分くらい買いに行く状態だったから、運転停車にしたら乗客からクレーム大会になったさ もちろん俺もクレーム言う 車販ではそんな大量の釜めし運べないぞ?

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>駅弁は朝イチの特急から最終特急まで販売があったのでしょうか。 朝イチは確認してないけど最終は確実に売ってたし、最終日あさま37号まで売ってたよ?